屋上のぷちどる ゆきぽ編
全身に浴びるようにして金属片が激しく突き刺さり、自らの血につかり意識を喪失させているちひゃー。
ああ、ようやく一匹目が終わった。同時にまだ一匹目だ、と麻袋を手に取る。正直触りたくないが、このままで置いとくのはまずい。死体の一歩手前にまでなりさがった下等生物を放り込む。
良い気分だ。本日二本目のタバコに火を点け、青空を見上げる。
このままずっと空を見上げていられたらどれだけ幸せだろうか。しかし、まだまだやらなければならない事は山のようにある。そう、奴らの始末だ。
ちひゃー袋を階段の死角へと運び、影に押し込む。直ぐに目が覚める事はないだろうが、暗所の方が時間がかかるだろう。
ゆっくりと階段を下り、事務所を通り過ぎて一階にまで降りる。たるき亭の向こうに設置されている自販機で、暖かいペットボトルのお茶を一つ購入する。
天気こそ晴れているものの、これだけの時間を外で過ごすにはまだ肌寒い。それこそ普段は室内外を行ったり来たりしているものだから、外一辺倒というのは珍しかったりする。
冷えた手のひらを暖かいお茶で温めながら階段を上る。事務所の入り口まで戻ったそこで、相変わらず騒々しい化物共にため息が漏れる。
お仲間の一匹が姿を消して随分経つというのに、気がついてやしない。薄情な仲間じゃないか、なぁちひゃー?
ぷちどもの身長のサイズに合わせるようにしゃがみ、お茶のキャップを外して室内を見渡す。これに引っかからないようなら大したもんだ。だけどお前たちは自己の習性によってその身を滅ぼす。
少しでも思考して、このままで良いのかと考える事ができたなら。俺もここまでするつもりはなかった。だけどもう手遅れだ。
「もう許さない、絶対にだ」
匂いの元はどこだろうかと、あるのかないのか解らない鼻をヒクヒクさせながら周囲を見渡しているゆきぽと目が合った。こっちこっち、と手招きするとバカみたいな笑顔で走ってきた。
「ぽぇ~」トテトテ
普段は自分で煎れるものだが、こうして自販機のお茶でも問題はないらしい。目の前まで来ると、目の前のお茶を指差して首をかしげている。いや、指なのかそれ?
「ああ、飲んでくれても良いよ。でもどうせなら天気も良いし、屋上で飲まないか?ちひゃーもさっきから待ってるんだ」
「ぽ、ぽえ……?」
自分の下半身ほどもあるペットボトルを抱え、室内を見渡す。ここに来てようやくちひゃーの姿がないことに気づいたようだ。
そうだよな、お前らはぷちたちの中でも仲が良い方だもんな。一人ぼっちは、寂しいもんな。
ゆきぽを抱え、階段を再び上り始める。ちなみにこいつは冬場だけしっぽが生える。一言で言えばたぬきのようなしっぽだ。黒と茶色の縞々ストライプ。ちひゃーほどではないが、しょっちゅうブラッシングしているので毛並みも手触りも良い。
尻尾を丸めて運ばれるゆきぽ。一段一段と階段を登るたびに、心臓が高鳴る。
屋上のドアを開けた。暗い室内から明るい屋外に出ると、一瞬まぶしさに目を細める。
光度に慣れたのか、ゆきぽが周囲を見渡すが待っているはずのちひゃーが見当たらない。
「ぽえー」イナイ
「あれー、ちひゃーがいないな。何処に行ったんだろうな?」
未だ抱きかかえられたままのゆきぽが鳴く。ちひゃーを探しているのだろうか。心配する必要はない、すぐに会えるさ。
手元からゆきぽを離してやる。着地する寸前、地面に足が付いたかどうかのタイミングで思い切り蹴飛ばした。
「Σぽっ!ぽっぎぎゃぁあああ!!!」
最初の数メートルは地面スレスレを滑空していたが、一瞬の後に接地した顔が地面に引きづられる。ゴロゴロと転がったかと思ったそこで、動きを止めた。
何が起きたのか解らない、と言った顔でゆきぽが即座に立ち上がる。吹っ飛んだ途中でお茶を手放してしまったようで、いつの間にかそれを目で追っていた。
「おいおい、大丈夫かゆきぽ?」
あくまでも笑顔で。我ながら随分と白々しい事が言えたものだ。心配そうな声をかけつつ、ゆきぽに近づく。
「ぽ、ぽえ!ぽぇえ!!!」
うん、何言ってんのかさっぱり解らん。見たところゆきぽは怒り心頭のようだが、俺にはその原因がまるっきり見当がつかない。はて、と腕を組んで首をかしげてみせる。
腕を振り、何度も何度も地面を踏み叩きながら抗議の声を上げるゆきぽの声を遮るようにして、もう一度トゥキックを見舞った。
「ぽゃっ!?ぽぇぇ―――!?」
顔面に突き刺さったつま先がゆきぽの全身を吹き飛ばす。鼻血でも出たのか、赤い鮮血が尾を引いている。
やがて落下防止の鉄柵にぶつかり、動きを止めた。ぶつかった瞬間も何か言っていたようだが、どうでも良い。今のうちにと道具を手に取り、ゆきぽを追う。
「ぽ、ぽぇぇえ!ぱ、ぱぅぅう……」
うつ伏せに倒れて泣きじゃくり、鼻血が出た顔を抑えているゆきぽ。そうやって泣けば許してもらえると思ってるのだろう。
いや、甘かったのは俺の方だろう。こいつらがこんな風に悪知恵を回すようになってしまった原因は他ならぬ人間にある。
ゆきぽ自体がもともと気弱な泣き虫であった事は確かだが、それを許してしまっていたのは明らかな禍根。可愛がっていただで、正すことを何もしなかった。
現に今もこいつは何をされたのか解っていない。自分がこんなことをされる理由が思い当たらないのだろう。昨日、俺の落ち込んだ顔を目の前で見ていたのにも関わらずだ。
「さて、ゆきぽ。お前に聞いておきたいことがあるんだ」
うつ伏せのまま泣いているゆきぽの尻尾をつかみ、ずるずると引っ張る。呻くような泣き声で抵抗していたが程なく位置修正は終わった。
頭は鉄柵側に向いており、尻尾を含めた下半身がこちら側。縞々模様の塊は今や手の中だ。
「まぁ程度の違いもあるんだが、人間には悪いことをしたら罰せられるルールがあるんだ。じゃあ、人間じゃないお前たちぷちどるが悪いことをしたらどうするべきだと思う?」
スコップで床に穴を開け、熱線で壁を蒸発させ、大怪獣を事務所内に召喚し、事あるごとにあれこれと要求したかと思えば、我関せずと惰眠を貪る。
事柄すべてを上げていたら血管がブチ切れて脳が爆発しそうになる。
今もこいつを殺さないことで理性を抑えるのに必死、というのもあながち嘘ではない。だいぶ、キてるのは事実だ。
何が善で何が悪か。そんな判断がぷちどる如き化物に出来るはずがない。こいつらにとっては、自分がすべてなんだから。
ゆきぽは答えない。いや、答られない。痛みに身をしかめているのか、すすり泣くような声を漏らすばかりで話に耳を傾けようともしない。
このままでは埒があかない。尻尾を掴み、持ち上げた本体ごと地面に叩きつけた。
「ぶぎぃ!!!!」
一度だけで終わらせず、再び振りかぶってはぶつける。
「ぶぎょ!!!!」
「なぁ、ゆきぽ。どうするべきだと思う?ん?」
顔面から落ちたのか、既に鼻血は顔全体に広がっており、まるでケチャップでもぶちまけられたかのようだった。
涙が鼻血と入り混じり、マーブル模様の表情のままゆきぽは何とか言葉を口にする。
残念だが、何を言ってるのかは解らないのだが。
「ぽ、ぽえ!ぽええ!!」
必死に何かを訴えているのはどことなく理解できるが、その鳴き声は感に触り苛立ちを増長させてゆく。
結局、結論はでない。誰か通訳でもいればな、と益体もないことを思いながら再びゆきぽを持ち上げる。
「ぽえっ!?ぽぇえ―――!!」ジタバタ
「ああうん、心配しなくても良いぞ。慣れれば痛みも感じなくなるからな。よいしょ、っと」
自分は弁解を述べて、許されると思っていたのか。困惑した表情を浮かべたゆきぽに語りかけながら、掛け声をかけて叩きつける。
濡れ雑巾を床においたような、水分の混じった弾けるような音が響いた。
「ぽぎゃぁぁああ!」
叩きつけるたびに、普段からは想像もつかないようなゆきぽの叫び声が響く。
同じことを繰り返すだけでは面白みがないが、こいつら相手にわざわざ手間暇費やすのもどうかと思う。
実益を兼ねたぷちどるどもの処分だが、そこには多少なりとも俺自身にリターンがあっても良いんじゃないだろうか。こいつらを処分するのも、こいつらに一番迷惑したのも、俺自身なんだから。
流石にいい加減反応が弱くなってきた。痛みも慣れるだろうなんてことを自分で言っておきながら、ゆきぽの化け物じみた耐久性を考慮していなかった部分は認めよう。まぁ、イってしまったところで問題はないが。
仕上げにともう一度振りかぶり、今度は地面ではなく落下防止の鉄柵に向けて振り下ろした。
「ぽぎい゛っ!!」
うん、流石にこれは痛かったみたいだ。
「さて、話を戻すが人間―――ぷちどるの罰っせられるルールなんだがな」
持ち出したのは電動ドリル。大工さんとか、室内の工事なんかをする人も利用しているであろう電動工具。鉄芯の先に釘を取り付けると、螺旋状に回転しながら木の板や鉄板にも穴を開けることが出来る優れものだ。
765プロが売り出し中の頃はまだ会社に余裕があった。社長が休日は趣味の日曜大工を楽しんでいる、と言っていたのを思いだし、今回の件に役立てようと借りてきた。
本体のサイズからは明らかに不釣り合いな尻尾を掴む。犬猫のように元気がないとしなだれるというのは同じようだ。
鉄芯の先をゆきぽの尻尾に押し付ける。こいつは自分がまだ何をされるのか解っていないようで、弱々しい涙目でこっちを見上げている。
そうだ、そんな顔が見たかった。
「まぁ、事務所の床をあれだけ穴だらけにしたわけだから、ここはお前も穴だらけにされるって所でどうだ?」
「ぽ!?ぽぎっ!」
穴だらけにされる、というところでゆきぽの反応が変わった。目に見えて、怯える表情が際立っている。
「ぽぇ…ぽ、ぽぇ…ぽぇ…」
泣いて許されるのは恐れを知らず、罰を知りえぬ子供だけだ。そして子供はその失敗から学び、成長し、やがて同じ過ちを繰り返さないよう歳を重ねてゆく。
だけどお前たちにはそれがない。学び、理解し、過ちを悔いるということを、しない。できるはずもないよな。本能だけでいきている、不完全な生き物でしかないお前たちに。
だから俺はお前たちに容赦しない。
最早、優しさの欠片ですら不要だ。
「言って理解出来るヤツはそもそもしない。それでも解らないなら体に教え込むしかないよな、じっくりとさ」
そう言ってドリルのスイッチを入れた。
「ぽぎぎぃ―――!!ぽ、ぽぉおお―――!」
ゴ、ガガガガガ、ガリガリガリガリ……
穿孔音と共に、鮮血と冬毛が舞う。
肉だろうが骨だろうが鉄心が容赦なく貫通してゆく。その振動に負けぬよう、尻尾を掴む腕に力を込める。
「お前も散々事務所の床を穴だらけにしてきたんだ。だったらお前の尻尾が穴だらけになっても、仕方ないよな」
「ぽぉぉぉおおお―――!!!ぽぎっ、ぎっぎっぎぃぎぃぃ―――!!」
尻尾に突き刺さった電動ドリルが、血肉や骨片を容赦なく巻き上げてゆく。もうしわけない程度に残った毛の数々は、その色を赤へと変えながら飛び散っている。
「ぷっ、ぷっぎぎぎぃぃぃい!!!」
「ほらー、動くなよ。手元が狂うじゃないか」
じたばたと全身を振り乱しながら抵抗するゆきぽ。しかし、精々が大きめのマルチーズ程度のサイズであるぷちどるが足掻いたところで、人間の拘束を逃れられるはずもない。尤も、逃がすつもりは欠片もないのだが。
貫通面を目にすると、中々にえぐい。一度解体してやろうかと考えいていただけに、この断面図は衝撃的だった。牛や豚のように食肉を前提とした内面は何度か見たことがあるものの、驚きを禁じえない。
どっかの生物研究所みたいなところに売却してしまおうか、などとも考える。色々手間がかかるだけに、研究所の人は容赦なく作業を遂行してくれそうだ。
「ぎっ、ぽぎぎぎぃぃ!!」
一気に押し込めば簡単に貫通するのは解っている。しかし、こいつらの再生能力を考えると細胞単位で念入りに破壊する必要があるだろう。
ま、そんなことまで考え出すとキリがないから、じっくり時間をかけて穴を開けているだけなんだけどな。
「ぽ、ぽぎぇええ――――!!!ぴ、ぴぎ…………」
ようやく摩擦抵抗がなくなり、地面にドリルの先端が到着する。回転を止め、ゆっくりと穿孔穴から鉄芯を引き出した。
肉塊がこびりつき、尻尾を覆っていた毛皮の一部もめくれ上がっている。
「ぽ……ぽ…ぇ…………」
見るとゆきぽは気を失っているようで、白目を向いて身体を小刻みに震えさせている。幾ばくかばかりの声を、反射のように出しているのが聞こえる。生きているのは解るが、尻尾から伝えられる痛みの信号に脳が耐えられなくなり、痙攣を起こしているようだ。
これまで数々の穴を事務所に開けてきたが、恐らくゆきぽに悪気はない。あいつらは”そういう生き物”なんだという前提がそもそもにある。うさぎは寂しいと死ぬ、っていうのと同レベルなんだろう。
だが、悪気がなければ何をしても許されるわけではない。罰せられる事もあるだろうし、叱責を浴びせられることもあるだろう。しかし、それは同種の人間に対して行われる対応だ。
右から左に抜ける程度の記憶力、という以前の問題だ。この人は自分に何を言っているのだろう、と呆然と言葉を聞くにしか過ぎない。
傍から見れば可愛らしげな容姿を見せ、節々の反応は穏やかな限り。だが、見えぬその裏側で人間の生活圏を脅かすことに、何の疑問も抱かない。それが、こいつらだ。
「相手の都合もお構いなしに、ってね」
ぷちどる。
それは最早、憎悪の対象そのものでしかない。
構えて、再び尻尾を貫く。
先のように時間をかけず、力を込めて穿孔させる。
「ぶぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!」
三度の絶叫が、こだました。
「すげぇ鳴き声だ、あいつらが気づかなきゃ良いけど」
耳を貫くような絶叫に顔をしかめる。泡を吹いて気絶してるゆきぽをさておき一応、階段の踊り場から事務所の入り口を覗いてみたが、誰かが登ってくる様子もなかった。
もし耳に届いていたとしても、心配になってここまで様子を見に来るかどうかさえ五分五分程度だろう。
再び屋上に向き直る。晴れやかな空の下、様々な体液を撒き散らせたケダモノが力なく横たわっているのが見えた。
蹴っ飛ばして、しっぽに穴を開けてそれで終わり。
ありえない話だ。
奴らには一匹一匹、骨の髄までこれまでの恨みを晴らさなければ気が収まらない。
自分たちの行いが、どれだけ大それたことだったのかと、泣き叫びながら後悔させてやらねば意味がない。
これまで自分が、どれだけ負の感情に悩まされてきたのか。憎悪、憤慨、絶望、呆然、苦悩、単語として上げていけばキリがない。だからそれだけの数を、それだけの嘆きを、お前ら自身に味わってもらおうじゃないか。
「ぷぃ~~、ぷぇ、ぽぇ…… ; ; 」
痛みに震え、弱々しく泣くことしか出来ない。心優しい765プロのアイドルたちならば、この姿をみただけで許してしまうだろう。よしよし、もう怖くないからねと抱きかかえて慰めてやることだろう。
だが、今のお前の目の前にいる人間はそんなことはしない。むしろ、そんな涙など全く意味がない。涙声を遮るように、身体の対比が明らかに異常な頭部を踏みつけた。
「ぷぎゃ!?」
「はいはーい、じっとしてようねー」
先ほど、ちひゃーをぶっ飛ばした竹竿までゆきぽをずるずると引っ張ってゆく。その間も何やら鬱陶しい鳴き声が聞こえるので、二度三度と蹴りを見舞った。
「ぷぎゃ!ぽげっ!?」
大なり小なり痛みを与えてやると、ダメージに比例してか少しの間は静かになる。それも結局は一時しのぎでしかないのだから、結論は一つしかないのかもしれない。解ってはいた事だが、末期の時まで精々楽しませてもらうとしよう。
さて、と一息ついたところでゆきぽの頭を掴み、顔の位置まで持ち上げる。引っ張り上げられた事に驚いたのか、相変わらず間抜けな鳴き声が聞こえた。
「ぱぅぅ……はぎゃっ!?」
持ち上げて、尻尾を見下ろす。我ながら、肉塊越しに地面を見る機会があろうとは思わなかった。
貫通した穿孔穴。そこに、竹竿に絡まっていた紐を通して、縛る。
即座に手を離す。空中に静止することもなく、重力に引かれ落下するゆきぽ。しかし縛られた荒縄により、地面に激突することはなかった。
ただし、無傷で痛みを感じないというのとは話が別だが。
「ぽ、ぇぇぇぇえ!!!ぽぎぎぎぎぎぎぃぃ!!!」
傷口に縛り上げた荒縄が接触し、さらに自分の体重がそれを圧迫する。痛みに身悶え、身体を激しく振り乱すが、その反動がさらなる負荷をもたらすことなる。
もがけばもがくほど、痛みは増すばかり。
逆さに吊り下げられ、体表の組織が傷口として露出している部分はじくじくと痛む。ゆきぽは涙を流しながら、哀れな泣き声を繰り返すしかできなかった。
「ぽー、ぽ―――ぷぇ、ぷぇぇぇぇぇえええ―――ん ; ;」イタイイタイ
何とか窮地を脱そうものの、ぷちどるの短い手足では縄の結び目はおろか自分の尻尾にさえ手が届かない。よしんば届いたところで、何が出来るというわけでもなさそうだが。
もがき苦しむ様を眺めるのも悪くないが、やはり何かしら実感が伴ってこそ価値があるだろう。
タバコを咥え、火を点けながら歩み寄る。
二度三度、とタバコをふかしながら目の前で無様にゆれる、無様な生き物を見つめる。
上下逆さまになった宙吊りのまま、顔面を涙と鼻水に入り混じった鼻血が汚している。空から雨が降るように、小さな水滴が屋上の床に落ちてゆく。
タバコを咥えながら、軽く何の気なしにゆきぽをひっぱたいてみた。
「なぁ、今どんな気分だ?」
「ぽ、ぽ!ぎゃ!ぷぇ!」
手を当てるたび、反動でぶらぶらと揺れるゆきぽ。その度に現れる反応がいらだたしいやら、愉快やらで複雑な気分になる。
思い悩む程にも、視界の端をタバコの紫煙が昇ってゆく。青い空はこんなにも平和なのに、どうしてうちの事務所はこんなにも厄介な奴らを引き受けることになったんだろうか。
考えても仕方ない。精々、苦しんで俺を楽しませてくれ。
咥えていたタバコをつまみ大きく煙を吐き出すと、それをかぶったゆきぽが嫌がるように顔を歪めていた。こいつらもタバコの煙が苦手とかあるのか、あるいは傷口に滲みたとか。
じゃあこれでどうだ、と未だその先端に確かな高熱を宿すタバコをゆきぽに当てる。無論、目標はその異形とも言える巨大な頭部の鼻っつらだ。
「ぶぎ、ぶぎぃぃ―――!!」
当てては離す、を繰り返す。タバコの温度がどれくらいなのかは正確には知らないが、少なくとも”根性焼き”なんて言葉があるくらいなのだから、良い温度のお風呂ということはないだろう。
「ぼ……ぼ、ぼおおぎいい――――!!!」
肉を焼く微かな音が、なんとも耳に心地よい。別にしっかり熱を通して云々するわけではないが、タバコの先端が触れた瞬間に派手なリアクションをとってくれるゆきぽを見ているのは退屈しない。
あまり強く押し付けて火が消えてもつまらないし、適当に強弱交えながら顔面を黒点だらけにしてゆく。
程なくして気づく。
「しかし我ながら、うん、怖いだろこれは……」
先のちひゃーではないが最早見れる顔ではない。異常を通り越して異形、どころではない。自分でやっておいて何だが顔面を直視することに耐えかねるレベルだ。
他方に広がる、タバコのやけどによる歪な火傷痕。地面激突による顔面殴打。流血、裂傷、打撲。
「後はバリカンで、ってのじゃつまらんか。何かリクエストはあるか?」
「ぽー、ぽー……ぷぇぇぇぇぇ ; ; 」
抵抗する力はないが、涙を流して悲痛さを訴える力はあるらしい。現金なやつだ。
左右に振れる振り子のように、ぶらぶらと流れるゆきぽを眺めること数分。
かすかに燃え続けるタバコもいい加減に短くなり、小さな残りをゆきぽに投げつけた。痛い云々いうほどのサイズでもないので、リアクションもつまらない限りだ。
そろそろ何をなしても反応が薄くなっている。こいつら自身に、自分は罰を与えられているんだという自覚がない限り、どれだけの労力を費やしても同じことだろう。
痛みに泣き叫ぶ様や、悶え苦しむ光景はそれなりに溜飲も下がるものだが、そろそろ幕引きと行こう。
運動エネルギーのなくなった振り子がゆっくりとその往復移動を小さくしてゆく。それはまるで、振り子であるゆきぽの体力を指し示しているようでもあった。
竹竿からゆきぽを荒縄ごと取り外し、階段へ向かう。その際もぶら下げたままで、様子を見る。元気がないなぁ。
階段の脇、昇降口の影に押し込んでいた麻袋を取り出す。こちらも目立った動きはない。
固く縛ってあった麻袋の紐を解き、そっと中を覗き込む。うん、そのままだ。
「おい、ゆきぽ」
「ぷぇ!」
声をかけながら荒縄を引っ張る。肉がひしゃげる音と、ゆきぽの悲鳴が聞こえる。
ずるずると地面を引きずりながら、ゆきぽを手元まで寄せて麻袋の中を覗き込ませた。
「いい加減疲れただろう。ちょっとこの中で休んでて良いぞ」
「ぽ、ぽぇ…」ガタガタ…
度重なる殴打でゆきぽの顔面はずたずたに傷んでおり、片目は激戦後のボクサーのように腫れ上がっている。辛うじて開かれているもう片方の目も、タバコの火傷や殴打の痕で平常通りの健常体とはいかないようで、どことなく視線は定まっていない。
どれほどあるのか解らない程度の理解力だが、痛みの恐怖はしっかりと身体に刻み込まれたようで、もはや声をかけるだけでゆきぽは身体を強ばらせる。やっとここまで来たか、という感ではある。
荒縄ごとゆきぽを麻袋に放り込む。後は元に戻すようにして紐で封をするだけ。頑丈に、ちょっとやそっとでは解けないように。
麻袋の縁を紐でしばり、しばし距離を取る。ポケットからタバコを取り出し、ライターで火を点けていると悲鳴が聞こえた。ゆきぽの声だ。
「ぶぎぃいいい!!!!!ぽげぇええええ!!!!!ぽぎゃああああああ!!!!!!」ドタンバタン
前後左右は手触りの硬い麻袋。ただでさえ暗闇の中に押し込まれた影の中であるにも加え、今の自分は普段の半分も視力を確保出来ない。
そんな極限状態に輪をかけるようにして、目の前に現れたのは見るにも耐えぬ恐ろしい化け物。
自分と同じような姿形をしているのはなんとなく解る。しかしその顔面は血まみれで、片腕はだらりと歪に垂れ下がっている。そんな”物”が声にならぬ音を発しながら、ゆっくりと自分に近づいてくる。その感想は恐怖以外のなにものでもないだろう。
殺される。態々この袋の中に押し込まれたのは、この化物に自分を始末させるためなのだとゆきぽは悟った。
「…ァ、クァ、ァ……」
「ぽ、ぽぇ!」バシッ
目の前の”何か”から伸びる、ぶるぶると震える手を払いのける。
幸い、自分の体は尻尾を除けば十全に動く。死ぬのは嫌だ、そう思い立ったゆきぽの身体を恐怖に打ち勝った殺意という感情が塗りつぶしてゆく。
「ぽぉぉぉぼおおおおぎぃいいぇえええ!!!」
恐慌状態というマイナス面を恐怖が乗り越え、普段の大人しい姿や立ち振る舞いからは想像もつかないような叫びを上げる。
スコップという道具の助けもあるだろうが、普段から事務所の床やコンクリの地面でも平気でぶち抜くゆきぽの膂力は相当なもの。豪腕とも言える、自身に備わった武器を固く握り締めてゆきぽは眼前の化物に襲いかかる。
「ぽぇっ!ぽぇ!ぽぇー!!」
殺意が篭っているはずだが、その掛け声は正直言って萎える。真面目にやっているのか、と疑いたくなるほどだ。
しかし本人は真剣そのもので、生命の危機に瀕した火事場の底力とでも言うのか。手を触れるのも悍ましかったはずの存在に殴る蹴るの攻撃を浴びせかけている。
当然ながら、手足を使った攻撃であろうともそれが命中すれば多種多様な音が響くことだろう。この場合、ゆきぽの攻撃が命中した衝撃が空気を振動させる形だ。
人間を例に取れば骨格を筋肉が包むことで、柔軟かつ強力な打撃が生まれる。しかしぷちどるにこの理屈が当てはまるのかどうかは非常に疑問が残る。
骨があるのは確かだろうが、脊髄やら指の先までという人間の常識で測れるかと言えば無理だろう。深海の底や、遺伝子の螺旋にさえメスを入れた人類の技術であろうとも、こいつらの生態を解明し尽くすことは難しいかもしれない。
「ぽっ、え!」
「クゥ、ゴフッ…」
「ぽぇー!」
中をうかがうことは出来ないが、恐らくはゆきぽのパンチが命中する瞬間は、麻袋が大きくたわむ。同時にゆきぽの掛け声と、微か聞こえる小さな悲鳴がその余波を物語っている。
ゆきぽも体力が残っていないようで、連続しての攻撃は辛いらしく、荒い呼吸を繰り返した後で大きく打撃を放っているようだ。
この出し物を肴に、少し休憩するとしよう。
それからどうした――――
「はてさて、そろそろどうかな」
日頃の鬱積から解放されたからか、日向の陽気に毒を抜かれていたようでいつの間にかタバコの火も消えていた。
見れば足元で転げまわっていた麻袋も動きを止め、もぞもぞと悶えているように揺れている。
では、そろそろ種明かしと行こうじゃないか。固く縛った麻袋の封を解きながら、この後のリアクションに期待を膨らませる。
封を切った袋を掴み、上下逆さまにしてぶらぶらと振っていると、程なく中身が二つとも落ちてきた。
「ぷぎぇっ!」
「……クェ」ベシャ
強烈なアルコールの匂いが鼻をつく。仲良く落ちてきたところで、未だ目を回しているゆきぽの頭を両手で掴み持ち上げる。
「お疲れさん。よく休めたか?」
「ぽえっ!ぽえっ!」ブンブン!
満身創痍であるのにも関わらず、ゆきぽは掴まれたままでも相変わらずの敵愾心を見せつける。
あれだけの仕打ちを受けた後でも、それだけの反抗心を打ち出せるのは凄まじい根性だ。
それとも、ぷちどるの記憶力は三歩歩いて忘れる鳥類程度なのだろうか。ありえない話ではない。
「ははは、そう怒るな……よ!」
「ぽぎゃ!」
掴み上げたまま、勢いづけて床に叩きつける。
相変わらずな間抜け声に安心する。まだまだ楽しめるだけの体力はあるようだ。
「ぷぃぃー、ぷえぇぇーん……」
激突のショックにうずくまるゆきぽを再び掴み、立ち上がらせる。このまま放置していればどうせいじいじと泣き声を漏らすだけだろう。
糞虫以下の価値も無い化け物。会社に損害を与えるだけの穀潰しが、自分の境遇を人並みに悲観する事が許せない。
それこそあれだ。7つ揃えればどんな願いでも叶えるという某宝具の龍でも、こいつらを更生させることは躊躇うかもしれない。むしろ、最初から違う生き物である方がよっぽど楽なことだろう。
「せーの、よっと」
「ぽぎぇ!ぽ、ぽ、ぽぇ?」
握り拳を振り下ろし、目を覚まさせる。視線の先には、ゆきぽと一緒に落ちてきたぼろくずが蹲っている。
微動だにしないそれに向け、ゆきぽを投げつける。軽く、キャッチボールをするように。
ぶつかった拍子に、ぼろくずも意識を取り戻したのか、曖昧で虚ろな視線をゆきぽに向ける。尤も、それが正確に視線の類であったのかは定かではないが。
「ぽぇっ!ぽぇ!ぽぇー!!」
麻袋の中での恐怖体験を思い出したのか、ゆきぽは攻撃本能を全開にして殴りかかる。
迫力に欠ける攻撃だ。元が元なだけにそれを期待するというのも酷という話か。呆れながらも、俺は殴打を続けるゆきぽを阻むようにして持ち上げた。
「ゥ、クォ…」
見下ろし、か細く聞こえるその声は既に虫の息だ。このまま放置しておくだけでも死亡するのは間違いないだろう。
しかしそれではつまらない。そしてなにより意味がない。ここまで痛めつけた挙句、単なる打撲裂傷での死亡などだれが喜ぶものか。
「なぁゆきぽ、アイツをどっかで見たことないか?」
「ぽ、ぽえ?」
猫掴みされたまま、ゆきぽは首をかしげる。
自分が恐れ慄き、あれだけ殴りつけた化物が自分の知っているものの筈がない。
「よく見てみろよ、そうだな……今朝のうちに事務所の中で見てたりしないかな」
ゆっくりと歩を進める。より近くで確認できるよう、しゃがみこむ。
「ぽえー……ぽぇ?」
自分と似たような体型。散り散りに残っている青い髪の毛。腫れ上がり、片方しか見えていない瞳。
埃やゴミカス、血や汚物に塗れた衣類。全身に突き刺さっている小さなガラス片。
「…ク……ゥェ」
あの泣き声を、自分は知っている。
ゆきぽの脳内で一つの仮定が実感に変わる。
あれは、ちひゃーだ。
昨日も今日も、それこそ今朝の直近まで身近にいた仲間。
その相手に、自分は何をしたのか。何度も何度も殴りつけた反動が、未だ腕に残っている。
それは、誰の顔を、殴った痛みか。
「ぽぎゃ、ぽぎゃぁああああ!!!!!」
泣き叫びながら身を激しく振り乱すゆきぽ。
心が壊れたのか、その激昂は今まででも最上のものだろう。
鬱陶しくなったので手を離すと、全力でちひゃーに向けて駆け出してゆく。
別れの時間、というのは大切だろう。
「むむ」
しかしある程度の驚きは予想通りだったが、それ以上の事が起きなかったのは残念だ。
親愛の情があるかどうかは別にして、仲の良かった仲間を殴り殺す直前まで追い込んだのだ。そのまま泣き叫んで自分に襲いかかるくらいの反応は期待したのだが。
散々悩んだが、ぷちどる如きの知能指数で果たしてあの姿をみてちひゃーであるという確証が獲れたのかは疑わしい。動物としての直感とかの方がよっぽど説得力がある。不思議というか、言葉にし難いものだ。
「ぽえー!ぽえ!ぽ、ぽええええ―――ん!!!」ユサユサ
「………」ガクガク
既に動かなくなっているちひゃーを必死に揺さぶるゆきぽ。励ますように、気付けのように、必死に声をかけ続ける。まるでその光景を少しでも変えようとするかのように。
自分が犯した事を否定するかのように、贖罪を求めるかのように。
滑稽でしかない。他人を顧みないはずの化け物でも、お仲間を殴り殺してしまったことには罪悪感を覚えるものなのか。
最後の一本になったタバコに火を点けて、息を吸い込む。紫煙を吹き出した向こうでは、今も尚、ゆきぽがちひゃーを揺さぶっている光景が見えた。
実質、丸々二本のスピリタスを飲まされ、空になったとは言えその瓶を体に叩きつけられたちひゃーの体は、これ以上ないほど火気厳禁の状態だ。
そんなお仲間に殴る蹴るの接触を行ったゆきぽはどうなのか、と言えば語るに及ぶまい。口元のタバコをつまみ、ゆっくりと、二匹へと近づいてゆく。
「ぽぇ!ぽぇ!ぽぇえええ!!」
「」
人間であれば蘇生活動であるやら、緊急時の対応等を考えるものだろうがこいつらにそんな知識はない。おまけに仲間を自分が痛めつけた事でパニック状態に陥っているならなおさらだ。
こればかりは生物としての欠陥以前の問題だろう。飼い犬に朝の散歩から餌やりまで自分でしろと言ってるようなものだ。出来るわけがないから、ペットとして飼われているのだから。
「ぽえ……」
どれほど声をかけても、身体をゆさぶっても、反応が返ってくることはない。既に死んでいる。ようやくその事に気づいたのか、ゆきぽは冷たくなったちひゃーの身体を泣きはらした瞳で見つめている。
「あーあ、ひどいやつだなお前って。ちひゃー、死んじまったな」
「ぽえ!」
「うるせぇんだよ化け物が」
瞬時に歪んだ顔で怒りの表情を見せるゆきぽ。これがこいつらの見せる殺意なんだろうなと、見下ろす。
本能で生きる動物が炎を恐る理由は様々だが、こいつらの場合はどうなんだろうか。そんな意味もない事を思いながら、タバコを投げつけた。
アルコール度数90%オーバーの液体が全身に染み渡っている状態で、火の点いたタバコが触れたとしたら。
それがどれだけ危険な事かは、身を以て知ることになるだろう。
ボウッ!
大気中に充満するアルコールに引火した炎は、瞬時に大元であるゆきぽとちひゃーの遺骸を包み込んだ。
「ぽえぇぇ!ぽえぇぇ!ぽえぇぇ!」ジタバタジタバタ
火達磨になった体で出来ることがあろうはずもなく、二匹の体はあっという間に火柱へと変わってゆく。
ちひゃーはともかく、ゆきぽの髪の毛はまだ火種になるには十分なようで、頭部へ届いた火勢は更に勢いをますばかりだ。
「ぷぎ、ぷぎぃぃぃぃぃぃ!!!!」
もうどうする事も出来ない。たとえこの場に消化器が山ほどあって、瞬時に消火できたとしても手遅れだ。全身の火傷のみならず、酸素の呼吸道を通って内臓もただではすむまい。
「じゃあなゆきぽ。あの世でちひゃーに謝っとけよ」
「ぽぎゃぁあああああああ!!!!!!!!!!!」
鬼のように歪めた表情のまま、揺れる炎に向けてつぶやいた。
「さっさとくたばれよ、化け物」
ゆきぽ編 了
- 最終更新:2014-02-20 15:03:07