ぷちどるのいる日常~ぷちどる愛護法 第2部

ケージに入れたちひゃーを車に積み込んで、朝早くから目指したのは、ぷちどるの保護施設だった。
人手不足の施設の手伝いを兼ねて、ちひゃーの搬送である。そういえば保護施設に行くのは初めてだと気付く。
後部座席でちひゃーは興奮しているのか、ごとごとと暴れながらくーくーと鳴き声を上げていた。
分厚い毛布のカーテンに覆われていても、ちひゃーの鳴き声は車内中に響いている。
甲高い鳴き声は、よく通るためか、確かに都会で飼うには騒音問題に悩まされるかもしれない。
それと声帯除去は全く別の話ではあるが。
インターからほど近い場所に保護施設はあった。
車から降りると山間の冷厳な空気が車内に差し込んでいく。

「くぅぅぅ……」

寒さに弱いちひゃーは先ほどの興奮がすっかり消え去ったのか鳴き声が小さくなっていく。
金属製のケージは熱を一気に奪ったようだった。厚い毛布もあまり効果が無いようだ。
急ごう。俺は、ずっしりとしたケージを手に施設内へと入っていった。

保護施設は、もとは破たんした病院だった。自動ドアが開くとどこも似たような作りなのか、広々としたロビーである。
待合室であったロビーの半分はダンボールが占めている。ペットフードの印刷がされているということは、ぷちどるたちの餌なのだろう。
受付がそのまま事務所になっているのだろう、パソコンなどが置きっぱなしになっている。
受け付け内に人はいなかった。しかし、遠くでぷちどるたちの鳴き声がうねりのように響いていることから無人ということはないだろう。
御用の方は、とファミリーレストランに見られるようなボタンが置いてあった。
とりあえず押してみる。
ピンポンと音が鳴った。
しばらく待つと、はーいという返事とともに、奥から人が出てきた。

「あら……」

出てきた女性は俺の手にあるケージを見て、一瞬眉を寄せる。すぐに柔和な笑顔を作る。

「私は、ぷちどる希望の家の職員で……」

そう名乗ると、職員さんの態度が和らいだ。昨日のうちに連絡しておいたのだが、ちゃんと話は通っているようだ。

「あら、じゃあ、保護したぷちどるを連れてきてくれたのですね」

「はい」

職員さんは、ぷちどるを受け取ろうとしたが、俺は、運びますよとやんわりと断った。
ぷちどるは地味に重い。
今日は、このまま手伝いの予定で来たのだ。
ケージを持ったまま職員さんの後をついていく。

「くっくー」

ちひゃーが大きく鳴いた。仲間の匂いを感じ取ったのだろうか。

この元病院は大きな総合病院だったのだろう。途中ある案内版をチェックしながら大体の内部構造を覚えていく。
病室は今は改装され、ぷちどるたちの飼育部屋になっているという。もちろん一部屋で賄えるはずもなく、二階以上の各病室はすべて飼育室のようだ。

「うっうー」

階段を上ると廊下との仕切りに柵が添えつけられていた。その向こうでは数匹のやよがこちらを大きな目で見つめていた。

「階段から落ちないようにですよ」

二重になった柵の手前を開け、しっかりと閉めるとやよたちのいる廊下の柵を開けた。

「うっうー」

数匹のやよが雪崩を打ったかのように階段へと飛び出してきたが、もう一つの柵に阻まれていた。
ぷちたちの背が届かない位置に取っ手があるためか、ぴょんぴょんと飛び跳ねている。

「外に出たくてしょうがないみたい」

そう言って職員さんは笑っていた。

「このフロアはやよと奥にちひゃーのフロアがあるわ」

「くっくー、くっくー」

ケージの中のちひゃーの鳴き声が嬉しそうに弾んでいる。奥からは、コブシが回った演歌もどきが聞こえてくる。
厚めのドアが開かれると、

「「くぅぅぅぅぅーーー」」

幾重ものちひゃーの声が重なり大音声の演歌もどきが耳を打った。
耳を塞ぎたいが、片手はケージで埋まっている。

「くぅぅぅぅぅーー」

仲間に出会った嬉しさだろうかケージの中のちひゃーもまた歌いだした。ケージが震えているから気が付いただけだが。

ぱぁん!

職員さんが大きな柏手を打った。
しぃんとちひゃーたちが鳴き止む。

「くぅぅぅぅー」

ケージの中のちひゃーだけがいまだに歌っていた。

「新しい子を出してあげてください」

俺は、職員さんに促されるままちひゃーをケージからだした。

「くっ」

「「くっ」」

ちひゃーが挨拶すると、ちひゃーたちも挨拶を返す。どうやら受け入れられたようだ。

「みなさん仲良くしてね」

職員さんがそういうと「くっ」とちひゃーたちがうなずいた。
職員さんの言うことをよく聞くいい子たちだ。

部屋から出るとまた歌の合唱が始まった。くーくー唸っているだけのようにも聞こえるが、ちひゃーたちにとっては楽しい歌の時間なのだ。

階段まで戻ると、やよたちが重なり合うようにして取っ手に手を伸ばしていた。取っ手まで届いてはいるのだが、開け方がわからないようだ。
職員さんが十円を取り出すと、背後に向かって投げた。

「「うっうー」」

やよたちの悲しき習性か、ちゃりんと床で音を立てる十円に向かって殺到していく。
押し合いへし合い、十円の獲得競争からはじかれた個体は、大声で泣きわめき、廊下は大騒ぎになっていた。

「いいんですか?」

「じゃれているだけですから」

さっさと柵を抜けると廊下側を施錠する。

「うぅ……」

施錠されたことに気が付いたやよなどが悲しそうな眼でこちらを見上げてきた。

「あの……」

「お外遊びの時間以外は、外に出さないようにしているんですよ」

職員さんは、柔和な笑みを崩さないままそう答えた。

三階もまた同じように柵があった。この階にはまこちー、こあみこまみ、たかにゃが保護されていた。
やよよりも数が少ないのは、繁殖力の差と人気種であるということが要因である。
飼いやすいまこちーは捨てられることも少ない。たかにゃやこあまは、単純に繁殖させられていない不人気種である。
やよのように手軽で可愛らしく繁殖も容易であるがゆえに、捨てられる数が多いというのは、皮肉なことであった。
ちっちゃん、ぴよぴよ自体は捨てられていること自体がほぼない。良くも悪くも経済動物なのだ。

「やー」「とかー」「ちー」「しじょ」

たかにゃによってこあまたちは統率されているのか、非常に大人しかった。階下の喧騒などうそのようである。

「そういえば、あふぅやゆきぽは」

「あそこですね」

窓にも柵があったが、指さしているのは別棟だった。

「あふぅはあちらに」

ゆきぽは、と言いながら中庭を指さした。
柵の隙間から小さく見える茶色い丸いものたち。

「ゆきぽは中で飼うのがそもそも問題があるんですよ」

「でも、こんな寒空の下で……」

「そうですか? まぁここで話すのもなんですから先に進みましょう」

こちらを見上げるぷちどるたちの前で声を荒げるのも憚られるのもので、俺は口を閉ざすと職員さんの後をついていった。
別棟に充てられたあふぅの部屋。

「あふぅは縄張り意識があるのか、ほかのぷちたちと一緒にすると追いかけまわしたりするので……」

普段は一日中寝ているので手間はないようだった。
内装の全くない部屋でたくさんのあふぅが寝転がっていた。
元は手術室だったのだろう。医療道具ないタイル張りの部屋はがらんどうとしていた。
しかし、鼻提灯を膨らまして安心しきったような緩んだ寝顔は、野良生活では味わえない安らぎに満ちているようだった。

「ぽ……ぽぃ……」

穴の中、寒さに震えながらじっとしているゆきぽたち。
何度も穴が掘られたのだろう。もとは憩の中庭であったろう地面は、コンクリートがすべて砕かれ、土のようになっていた。
そこに、一定の距離を取っていくつもの穴が並んでいる。
ゆきぽの鼻から垂れた鼻水が、日の光でてかてかと光っていた。

「寒さで、震えてるじゃないですか!!」

思わず声を荒げてしまった。

「ぷ、ぷぃぃぃっ!!」

それに驚いたのか、一匹のゆきぽが眠りから覚めて驚きの声を上げた。後はもう連鎖反応とでもいうべきか。
次から次にゆきぽは驚きの声を上げ、背中からスコップを取り出して逃げ出そうとした。
巻き上げられる掘られた土に、辺りは一気に土煙に包まれた。

「はぁ、わかりますでしょ、ちょっとの刺激で爆発するニトログリセリンのようなゆきぽを室内で飼ったら?」

そうだ、一匹だけではないのだ。集団で飼うことによって、一匹の驚きが伝染してすべてのゆきぽがパニックを起こす。
正直知らなかった新たなゆきぽの問題だった。
一斉に穴を掘ったところで土がどこかに消えるわけでもなく、ただ巻き上げられ耕された土に多くのゆきぽが埋もれていた。

「ぽぇ~」

と目を回したゆきぽをしり目に俺たちは室内に戻った。

「大丈夫でしょうか?」

「えぇ、穴の中に住んでいるのですから」

職員さんはにべもなかった。

俺は、これ以上食い下がることもなく予定通り手伝いを始めることにした。
入り口に置いてあるぷちどるの食料を倉庫へと運ぶ仕事を頼まれた。人手不足のため整理しきれないらしい。
台車にダンボールを重ねては倉庫へと運び入れる。
真冬とはいえ、汗がじんわりと額に浮かぶ。なかなかの重労働だ。
倉庫へと台車を動かしていると、エレベーターが開いた。
幼稚園児を散歩させるために使うような台車に、満杯に乗せられたやよたちが職員さんによって運ばれていく。

「うっうー」「うっうー」「うっうー」「うぅ……」

底の方のやよは少し苦しそうだった。

倉庫へとダンボールを粗方しまい終えると、やってきた職員さんが感謝していた。

「ありがとうございます」

「いえ、ところでやよは?」

「えぇ、お外遊びの時間ですから。見に行きます?」

病院の裏手、もとは職員用の駐車場であったろう広場は、柵で覆われていた。
そこに解き放たれ、あたりを駆け回るやよたち。寒空の下でも、じゃれ合う姿はほほえましいものだった。
職員さんが、腕時計を確認すると、柵の中に、先ほどの台車を押し入れていく。

「さ、時間よ」

「うぅ~」

職員さんの言葉に、幾匹かのやよたちが首を振って拒絶した。まだまだ外で遊んでいたいようだった。
ちゃりん。
台車の中に十円が落ちる音がひびく。

「うっうー」

あっさりとやよたちは台車に収まった。
鮮やかな手際である。
やよを運び入れる手伝いをしながら、別の職員さんが、まこちーの詰まった台車を運び出していた。
どうやら一種ごとに時間で交代させているようだ。

「あの、みんな一緒に遊ばせないんですか?」

「……人手が足りないんですよ」

このままでぷちどると人が触れ合えるぷちどるランドが完成するのだろうか。
一抹の不安がよぎった。
やよを部屋へと戻すと、職員さんは壁に掛けてある袋を取り替えていた。

「それは?」

「十円ですよ」

どうやら、やよたちを集めるために使った十円は、やよがその袋に大事にしまっているようだ。ある程度しゃぶると皆で同じ袋に入れる。
時折取り出しては皆で仲よく分け合ってしゃぶるという。
職員さんは、ある程度溜まると、その袋を回収するという。自腹ですからと答えていた。
たかが十円とはいえ、日に何度も使うと結構な額になると言われると、何も言い返せない。
部屋から出るとやよのびゃーという泣き声が聞こえた。
溜めこんだ十円が消えたことにショックを受けているようだ。

「すぐ、忘れます」

少し可哀想な気がした。
それは、十円を奪われたやよに対してなのか、すぐ忘れてしまうぷちどるの脳に対してなのか。
どちらだったのだろう。

「食事の手伝いをお願いします」

職員さんの手伝いで、倉庫に運び込んだペットフードを台車へと積んでいく。この台車は、ぷちどるを運搬した台車よりも小さい。スーパーのカート同じくらいの大きさだろうか。
上蓋が付いている籠にキャスターが付いていた。

「たかにゃ、こあみ、こまみの餌やりから行きますね」

食事の上げ方を説明され、俺は、エレベーターへと向かう。
ぷちどるの運搬と、食事の運搬にエレベーターを使うようだ。
エレベーターが、三階に着いた。
目の前には柵が見える。ぷちどるたちの保護室を覆うように柵が張られていることになる。

「とかー」「ちー」

こあまの鳴き声が聞こえた気がした。いや、見えていた。柵の向こう側、廊下の隅っこでうずくまっている。
その横顔には、小さな笑み。ほくそ笑んでいるようだった。
隠れているつもりなのだろう。しかし、柵は柵である。文字通り隙間から見えている。
職員さんが柵の入り口を開けると、俺はカートを押し出す。

「とかー」「ちー」

こあまたちが飛び出してカートにぶつかる。小さな衝撃が、手に伝わってきたが、カートはびくともしなかった。
こあまは顔面を強打したのか、顔を抑えて地面を転がっていた。

「とかぁ……」「ちぃぃぃ……」

呻きながら涙を流している。何をしたいのかさっぱりわからなかった。

「前にね、こあみこまみにぶつかられて餌をばら撒いちゃったことがあるのよ」

職員さんが説明してくれた。

「それ以来何度もね。ほかの子たちまで真似するようになって……」

対策としてカートを重くしたという。通りでペットフードだけの割には重いと思った。

「とっかー!」「ちーっ!」

起き上がったこあまは、こちらに向けて憤慨しているようだった。
何度やっても、カートが倒れないことを理解しないと職員さんは嘆いた。
最初の成功体験だけが、強く残っているのだろうか。

「さ、ごはんの時間よ」

「しじょー」「とかっ」「ちー」「やー」

カートにぶつかってきたこあま以外のぷちどるたちがわらわらとカートの周りに集まってくる。
ちなみにたかにゃは四匹、こあまは五セットいた。まこちーは少し多く、十五匹ほど。
全部で二十九匹。結構な数である。
数の差はそのまま人気の差であった。出回る絶対数の差が、捨てられれ、保護される数の差になる。

「ぷちどるたちに、一匹ずつお皿を渡してください」

「はい」

アルミ製の軽くて頑丈なペット用の皿を配っていく。わらわらと群がるようにこちらへと手を伸ばすぷちどるたちへと皿を渡すと、にこっと笑顔を向けてこちらから離れていく。
皿を手に、今度は職員さんのもとへ並んでいく。
先ほど泣いていたこあみ、こまみにもお皿を渡した。おでこが少し赤くなっていた。目に涙が溜まっていたが、泣き止んだようだ。
差し出されたお皿に職員さんが、大きめの軽量カップで一すくい、きっちりと摺り切りで量り入れていく。

「とっかー」「ちーぃ」「しじょー」「まきょー」

食事を受け取ると、笑顔で散らばっていく。こあみ、こまみは一セットずつ座って食べている。
まこちーも少数ずつ車座になって食べている。

「しじょ」

たかにゃは、というと皿を頭上でさかさまにしたかと思うと、その大きく開かれた口で落ちてきたペットフードを受け止めた。
ぼりぼりぼりぼり。
口で咀嚼しながら、皿を職員さんへと差し出した。同時に四つ。
すべてのたかにゃがあっと言う間にペットフードを胃袋に収めてしまったのだ。

「ありません」

「ふごぶぉ」『不足』

口の中にまだペットフードが残っていたためか、不明瞭な鳴き声でどこからとりだしたのか、文字の書かれた白い紙をこちらへと向けてくる。
職員さんは、そそくさとカートに蓋をすると、エレベーターへと戻っていった。
たかにゃはショックを受けたように顔をゆがめると、ぽろぽろと涙を流し始めた。

「あの……」

流石に目の前で泣かれると罪悪感がこみあげてくる。

「栄養は足りています」

エレベーターに乗り込むと、次は二階へと下がっていった。

「…………」

二階もまた同じように廊下は柵で区切られていた。
手前はちひゃーたちの部屋で、楽しそうに歌うのが聞こえてくる。
ぴったりと閉められたドアから漏れる音から中の音量は相当なものだろう。
職員さんがドアを開けると、中に入っていく。
ぴたりと合唱が止んだ。
一匹だけくぅぅぅという鳴き声が聞こえてきたが、すぐに隣のちひゃーに口をふさがれた。
多分俺が連れてきた新入りちひゃーが鳴くのを止めなかったのだろう。新入りをにらみつけていた。
職員さんに注意されるだけでやめるとは躾が行き届いているのだろうか。その割には空気がひりつくような気がするが。

「ごはんよ」

職員さんの後を追うようにちひゃーたちがうろうろとついてくる。

「くー、くぅー!」

口を塞がれた新入りが塞いだちひゃーに叱られていた。
冷や汗を流して新入りがうなだれていたが、ちひゃーが手を取って連れて行った。
新入りは笑顔を浮かべた。
ほほえましい光景だった。

ちひゃーたちに、皿を渡しながら数えていくと新入りを入れて十二匹だった。
やよたちはこちらには来ない。線が引かれたかのように、ちひゃーの部屋の近くには来ず、廊下の端の階段側からこちらを見ていた。
幾匹かは、部屋の戸からこちらを覗き見ている。

「くぅーっ!! くぅーっ!!」

新入りが騒ぎ始めた。皿の中身を見て、職員さんへと向かって吠えたてる。

「くくぅーー」

皿の中身をぶちまけた。しっとりとしたソフトタイプの餌が廊下に散らばる。ちひゃーたちは噛む力が弱いため、餌は柔らかめにしてある。
新入りは牛乳を求めているのだろう。
ちひゃー種は全体として牛乳を好む。何故だかはわからないのだが、歯の弱さと関係しているのでは、と言われている。

「くぅー、くぅー、くぅー」

職員さんに猫掴みされた新入りちひゃーは、焦ったように喚く。保護室の中へと入ると、中には小さな籠があった。
ちょうど成ぷちどると同じほどのサイズだった。
底部の蓋を開けると、職員さんは素早く頭からちひゃーを突っ込んだ。抵抗する間もなく蓋をしめる。
大きな頭が籠にぴったりとフィットして、体を曲げることもできなさそうだった。

「「くぅ~」」

ちひゃーたちは、怯えたようにその籠を見上げている。
食事の手も止まっているようだった。
籠をちひゃーたちの前へと置くと、静かに告げた。

「食事は抜きです」

「くくっ!?」

籠の中のちひゃーの顔が青くなる。
他のちひゃーたちは、職員さんに一瞥されると、黙々と食事を続けた。

「ちょっと待ってください」

流石に可哀想だった。体の自由を奪われ、食事を抜かされる。拷問ではないか。
ちひゃーは己の境遇に恐れおののいている。
もしかしたら、トラウマでも刺激されているのだろうか。ケージで運んでいた時の興奮状態からも、このことを予測しておくのだった。

「何か?」

「いくらなんでも閉じ込めるのは……」

ちひゃーたちの視線が俺に集まるのがわかる。何かを期待しているのだろうか。ぷちどる特有の大きな瞳から感情は伝わってこなかった。

「……はぁ」

職員さんが小さく溜息をついた。

「代表から聞いた通りですね。あなたも、この子たちを捨てた飼い主たちと同じです」

「なんだって……?」

流石に聞き捨てならなかった。

しかし、彼女はこちらへと向き直ることなくカートを押していく。
今すぐ、発言の真意を問いただしたい気になったが、それを抑え込んでついていく。
廊下の端では、やよたちがこちらを見ていた。
職員さんは、何事もなかったかのように、皿を配るようにと俺に命じる。
俺は、無言で受け取ると、やよたちに配り始めた。
やよは一番数が多かった。二十三匹数え終えるころに皿が尽きた。
皿を受け取ったやよは職員さんの前へと並んでいく。

「うっうー」

皆一様に笑顔だった。先ほどの外に出たがって柵に殺到していたのがうそのようだった。
がつがつと食事を貪るさまを見終えると、皿が回収していく。
ちひゃーも食事が終わったようで皿が廊下に残されている。部屋に戻ったようだ。

「うーーー」

やよたちは、部屋へと戻っていく。顔は奇妙に歪んでいる。
ちひゃーの歌声が廊下を流れきた。
腹も満たされたために、大好きな歌を歌い始めたようだ。
やよたちは集まって耳を塞いでいた。

「……やよたちは、ちひゃーの歌が嫌いなんですか?」

職員さんに質問していた。嫌な想像だった。

「やよは耳がいいですから……」

そう呟くように言うと、カートを押していった。

「な……っ!?」

どういうことだ。やよが嫌がるのにちひゃーの部屋の近くにやよを配置しているというのか?
疑心が俺の心に湧き上がるのが抑えられなかった。

ぷちたちの食事が終われば職員たちの食事だった。
休憩をとっていいですよと言われたが、職員さんに話したいことがあった旨を伝える。
職員さんは、小さなお弁当箱を取り出していたが、こちらへと向き直る。

「先ほどの話ですか?」

促されるまま椅子に座る。向かい合う形になった。ほかの職員が何事かとこちらへと視線を向けてくるが、気にしている場合ではない。

「ぷちどるたちの前であまり興奮されるのは何ですから……」

と言って、頭を下げてきた。先ほど話を途中で切り上げたことに対する謝罪なのだろうか。
その割には、言い方がキツイ。
表情から悪意がないのは感じられるが、あまり人付き合いの得意ではないのだろうと推察する。

「あなたはぷちどるをどう思いますか?」

職員さんに促されるまま手近な椅子に座ると、唐突に切り出してきた。

「あなたがぷちどるたちに向ける憐憫の視線や態度は、ぷちどるたちを動物のように扱っているからですか?」

「……え?」

「ペットを放し飼いにする飼い主は、失格ですよね」

急に話が変わる。しかし、言いたいことはわかる。

「えぇ、まぁ……」

「でも、ぷちどるに関しては、部屋の中で放し飼いにする人がいるのが事実です」

彼女が小さく拳を握る。

「そういう人に限って、言うことを聞かない、部屋を荒らすと言ってはぷちどるを捨てているのです」

そこまで言い切って小さく溜息をつく。
保護されてきたぷちどるたちに手を焼いてきた実感がこもっている言葉だった。

「躾をするのが飼い主の責任です。二足歩行出来ようとも、人の言葉を解しているように見えようとも、ぷちどるは――」

こちらを見つめる目は、美しいほど真っ直ぐにこちらを見やる。

「――ケモノ――なんですよ」

何の蔑みもないただ事実を告げる声。それが、俺の胸を貫く。

「あ……」

ストンと何かが腑に落ちた。
それを言葉にする前に、あちこちからアラームが鳴り響いた。

「な、なにが……!?」

「ゆきぽが外へ出ていったみたいです」

「しかし、どうして?」

食べ物やお茶を求めるなら外ではなくこの建物の中を目指すはずだ。
職員さんに疑問をぶつけると足早に歩きながらも答えが返ってきた。
いまだ実験段階であるが、ぷちどるは、餌を得た場所を自分の居所と捉える習性があるという。
室内で餌を与えればそこが住処となるため、ゆきぽはどれだけ注意しようとも部屋に穴を掘るのを止めることはない。
しかし、餌を外で与えれば、外こそ自分の寝床と認識するのだという。
このさい絶対にやってはいけないのがお茶を与えることらしい。
お茶を飲んだゆきぽは、外で飼育しようとしても、室内を目指すという。お茶に含まれる成分が、ゆきぽの脳へと影響を与えるのではないかと言われている。
アルコールみたいなものか。お茶に含まれるカフェインがその影響を及ぼしていると言われるがいまだわからない。
それも数日すればその行為もしなくなるというからアルコールか麻薬のようなものなのだろう。
待っていれば餌が与えられる。という環境下であれば、臆病なゆきぽはただでさえ外に食料を取りに行くことはなくなるという。

「数日は新しい環境に慣らすのに時間がかかるのですが……、おそらく前の住処に帰ろうとしているのでしょう」

職員さんが向かった先は、別棟のとある一室だった。
戸を開ければ、そこは保育園の一室のよう。無機質な部屋とは違い、パステルカラーの壁紙に、ちっちゃな幼児用滑り台や、玩具が転がっている。
そこには、五匹ほどのやよが楽しげに遊んでいた。
戸を開けた職員さんの姿に気が付くと、

「「うっうー」」

と整列する。

「ゆきぽが脱走しました。捕まえてきなさい」

職員さんが、やよたちに何かをかがせる。スンスンと一嗅ぎする。

「「うっうー」」

職員さんに命じられるまま、やよたちが駆け出した。それは、猟犬のように素早く、統率のとれた動きだった。

「今のは一体……?」

「逃げたぷちどるを捕まえる仕事を与えています」

そのための特別扱いなのだろう。
ちひゃーの隣から逃げようとするやよたちの姿は、ここを目指すためなのか。
優秀なやよだけがここで特別扱いを受け、逃げたぷちどるを捕まえる仕事を得る。

「私たちも行きますよ」

そういって職員さんも足早に外へと出ていく。俺は黙って後を追った。

やよたちにはGPSが括りつけられているらしく、手元の端末で位置を確認して追っていく。
保護施設に収容されているぷちどるにはつけている、とある匂い。人間にはわからないが、鋭敏な鼻を持つやよにはかぎ取れるらしい。
では、ほかの管理しているぷちどるたちにもGPSをつければいいと思うのだが、曰く。

「予算がありません」

やよたちに猟犬のマネをさせるほうが安上がりとのこと。
世知辛いのは世の常である。寒風が身に染みるのは、冬の寒さのせいだけではないのかもしれない。

ゆきぽが発見されたのは、保護施設からあまり離れてはいない河川敷だった。土手の上を走っている。ぷちの足でそんなに遠くに行くことはできない。
だが、探索方向を誤れば、郊外とはいえ民家や農家が近くにあるのだ、ぷちどるが迷惑をかけかねない。
やよがゆきぽを捕まえようとする。

「うびゃぁぁぁぁっ」

俺たちが見たのは、土手から転がり落ちてくる腕から血を流して叫んでいるやよ。土手の上で血に濡れたスコップを握りしめたゆきぽだった。
ぽってりとした腕の先端が地面に転がり、流れ落ちた血が辺りを赤く濡らしている。
一匹のやよが苦しむやよへとすがりつく。目には涙を浮かべ、仲間の苦しむさまを見ているしかなかった。
他のやよたちが、ゆきぽを取り囲んでいく。

「ぷぃぃーー、ぷぃー」

興奮しているのか、スコップを振り回している。
一撃必殺ともいえる殺傷圏に飛び込む勇気が、やよたちにはなかった。

「ぷぅうぅうぅ、ぽぇ~……」

しかし、やがて振り回すスコップの速度が落ちていく。
ゆきぽは体力があまりない。穴を掘るなどの瞬発的な力は強いが持久力に関してはお粗末なものだった。
自らの体が埋まるほど――約30㎝ほどの穴を掘っただけで、すぐ眠りについてしまうほどなのだ。
そんなゆきぽが、ここまで走って逃げてきて、しかもやよ相手に大立ち回りを演じるなどで、すでに肩で息をするほどだった。
スコップを下した時がチャンスと、やよが距離を詰める。
しかし、ゆきぽはじりじりとやよたちから逃げるように離れていく。

「ぷゃ」

足を滑らしたゆきぽは、小さな悲鳴とともに川の方へと転がり落ちていった。
小さな水音が聞こえた。
俺たちは土手を駆け上った。川ではゆきぽが沈まいと手をバタバタと振っていた。しかし、スコップを手離さず泳ぐことのできないゆきぽは、水に浮き沈みしながら、

「ぽぇー、ぷぃー」

悲痛な鳴き声をあげていた。
だがそれも短いときのこと、真冬の冷たい川の水はみるみるうちにゆきぽの命の火を弱めていく。
刺すような水の痛みに耐え、ゆきぽを引き上げたとき、その小さな体に熱はなく、息をしていなかった。

俺が、冷たくなったゆきぽを抱き上げ、職員さんは、自らが血にまみれるのも構わず腕を失ったやよを抱きかかえる。
施設へと走り、職員さんが、あふぅが保護されている棟の奥へと先導する。

「いやぁ、なんか大変なことになったねぇ」

よれよれの白衣を着た初老の男が、温和な笑みを浮かべて俺たちを迎えた。

「ドクター、やよをお願いします」

「うびゃぁぁぁぁぁ」

やよはずっと喚き続けていた。職員さんが腕の根本を抑え続けていたためか、失血死には至っていない。

「こっちも預かるよ」

ドクターは俺の手からゆきぽをひょいと受け取るとやよともども抱きかかえて手術室へと入っていく。

「あの人は?」

「彼は、獣医でして、ぷちどるの研究をしたいと、ぷちどるの治療に手を貸してくれています」

職員さんは、そういってドクターの入っていった手術室とは別の廊下へと進む。
やよの血をエプロンで乱暴に拭っただけだ。流れ落ちた血でエプロンは汚れ、駆けてきたためか、跳ねた血がスカートやブラウスにも飛んでいた。
廊下には、壁一面に、ケージがいくつも積み重なっていた。
そこには、怪我をしたぷちどるたちが入っていた。ところどころ開いたケージが目立つがほぼ埋まっていた。
俺たちが姿を見せると、一斉に視線を向ける。こちらへの警戒感と、明らかな人間への恐れが含まれている。
頭に包帯を巻いたちひゃーなどまだマシなほうだ。
両目に包帯を巻いたやよ。
半身を火傷したのか、膿の染みた包帯からはケロイド状の皮膚がのぞくあふぅ。
全身包帯を巻かれたゆきぽ。
一つ一つに目を通すのがつらくなるほど、そこには傷ついたぷちどるたちがいた。

「事故……ならマシなほうです」

虐待か。
片手片足ずつがないこあみこまみなどは、どういうことを目的とされたものか考えるのも嫌になる。
虐待され、放置されたまま死ぬこともできなかったぷちどるたち。

うぁぅー、なぁぁぁ……、ぐぅ……

ぷちどるたちの苦悶の呻きが廊下を木霊する。
重なり合う響きが、うろを抜ける風のように不気味で、自らをこのような姿にした人間への呪詛の声だろうか。
芋虫のようにケージの中でのたうつゆきぽと目があった。
なんの感情もうつさぬような虚ろな瞳がどこか悲しそうであった。

「酷い……ですね」

何とも言えない気分のまま廊下を出る。
ドクターが手術室から出てきた。失くした片腕に包帯を巻かれたやよが抱かれている。

「いやぁ、なんとか一命をとりとめたよ」

やよは、寝ていた。麻酔が効いているのだろうか。

「この子は引退だね、走れないよ」

ただでさえ体のバランスが悪いぷちどるは五体満足でなければ走ることもできないのか。
いや、野生の動物は、怪我をすれば生き残ることすらまれであるから、それは仕方のないことなのだろう。
ドクターは手近な空いているケージにやよを寝かせる。

「あの、ゆきぽの方は……」

「あれは、ショック死だね、寒さで。怪我一つないからいい標本になると思うよ」

ドクターは何事もないように、あっさりと言い放つ。
切り刻まれるゆきぽの姿が頭をよぎる。

「あ、なんなら見ていくかい?」

「仕事がありますので」

職員さんもあっさりと流す。
俺も、さすがにゆきぽが切り刻まれる姿は見たくない。
職員さんは、着替えてきますと言って足早に立ち去った。
それを見送ると、一人廊下に残された俺は、ようやく空腹を覚え始めていた。

近くのコンビニで買ってきた遅い昼食をとっていると着替えた職員さんがやってきた。

「私もまだ途中でしたね」

「あんなことがありましたからね」

職員さんが手早くお茶を二つ入れる。
立ち上る湯気が心を落ち着かせてくれるようだった。

「この後、ぷちどるを引き取りたいと願い出てくれる方がいらっしゃいますが、同席しますか?」

「えぇ、お願いします」

食事中は穏やかな時間が流れていった。なんとなく久しぶりのような気がした。


昼下がりとも夕方ともつかぬ頃、幼子の手を引いた母親が施設へやってきた。
小学生にもならぬであろう幼女は、ニコニコと笑顔を浮かべいる。

「あのねー、まこちーちゃんがいるんだよね」

ぶんぶん振り回される手から幼女の興奮の度合いが伝わってくる。
初めて飼うペットとの出会いが待ち遠しいようだった。

「いるわよー、まこちーも会えてうれしいって喜んでくれるわ」

職員さんが、満面の笑みで幼女へと答える。これだけでも同席してよかった。

「さ、こちらですよ」

職員さんが先導する形で廊下を歩いていく。俺は、笑顔で親子を促すと、その後ろに着いていった。

ぷちどるのいる棟へと入ると廊下は先ほどとはうって変わって静かなものだった。物陰にこあみもこまみも隠れていないどころか、廊下にぷちどるの一匹もいないからだ。
廊下を進むと、とかち部屋の扉に隙間が空いていた。先行している職員さんが視線を向けると扉が素早く締まる。

「とかぁぁぁぁ」

一匹のこあみの悲鳴が聞こえた。慌てて閉めて手を挟んでしまったようだ。ぷちどるはなぜかこういう細かい不幸を呼び寄せてしまうようだ。

「まこちーの部屋はここですね」

扉を開くと、こちらの様子をうかがっていたのか、扉の近くにいたまこちーたちが一斉に部屋の片隅へと走っていった。
一匹のまこちーが足を縺れさせて倒れた。

「まきょっ」

泣いているのか、うつぶせのまま動かない。

「あの、放し飼いにして大丈夫なんですか?」

母親の方が、心配そうな声音で尋ねる。

「大丈夫です、ちゃんと躾ければ」

躾ければ、の声だけが強調されているように聞こえた。

「だいじょーぶ?」

幼女が倒れたまこちーに駆け寄り声をかける。
涙と鼻水で濡れた顔で見上げたまこちーと幼女の視線が絡まる。

「わたし、この子ー」

服が汚れるのも構わず幼女は、まこちーを抱き上げた。大人の頭ほどの大きさを何とか持ち上げる。
コケるという、ちょっとした不幸に見舞われたまこちーが、飼い主となる幼女に見初められるという幸運を手にしたのだ。

「バイバーイ」

「まきょー」

幼女がこちらへと向かって大きく手を振る。まこちーもまた幼女のマネをして、こちらへと手を振っている。
幼女は、母からまこちーへとつなぐ手を写し、病院からの坂道を降りていく。その後ろ姿は姉妹のようだった。

「よかったですね、飼い主が見つかって」

「えぇ、引き取り手が見つかるのはまれなことですから……」

「あー……」

次から次へと文字通り生産されるのがペットたちだ。
飽きた。飼えないと捨てられるのは、ぷちどるたちも一緒である。
買えばいいのだ。新しいペットなど。こんな保護施設に来て、長々と飼い方の説明を受ける必要もない。
ちょっとお金を払えば、その命すら好きにできる生き物を手に入れることができる。
メモを片手に、こちらの説明を一生懸命聞いてくれるあの母親のような飼い主はどれほど珍しいことか。
きっとあのまこちーは幸せになれるだろう。

と、思っていた。その時までは。

「あ”ぁぁぁぁっ!!」

子ども特有の喉を引き裂くような泣き声が親子が向かった先から聞こえてきた。

「……っ!!」

子どもの泣き声ではっきりとは聞こえないが、母親が誰かと言い争っているようだった。
駆け付けた我々が見たのは、親子を取り囲む人だかりである。

「何をしているんですか!」

初めて職員さんが声を荒げた。
人だかりが割れ、こちらへと視線が集まる。人だかりの真ん中で親子が身を寄せ合っていた。
幼女が母親の足に縋り付いて大泣きしている。
ひときわ背の高い男の手にはまこちーが抱えられている。幼女と引き離されて、涙に顔を濡らしていた。
言い争いをしていた母親がこちらに救いを求めるように目を向けてきた。

「また、あなたたちですか」

職員さんとは顔見知りのようだった。その声音はぞっとするほど冷たい。少なくとも好意的な相手ではないようだ。

「あの、彼らは……?」

そっと、小声で尋ねる。

「PPPです」

PPPと言えば、国会の前で馬鹿騒ぎしていた団体だったはずだ。
ぷちどる希望の家(我々)とはアプローチが違えど、ぷちどるの保護を訴えていた。
それくらいの認識しか持っていないことに、自らの勉強不足を痛感する。

「あぁ、あなたはこの施設の職員ですな?」

集団から年かさの男が前に出てきた。

「いまだにぷちどるたちを市民に引き渡しているのですか」

「まきょぉ~」

まこちーが鳴いた、大男の手はその見た目と違いやさしい手つきであったが、飼い主と引き離されていることがつらいのだろう。

「よしよし」

年配の女性がまこちーの頭を撫でる。
撫でられただけで緊張をほどくのはぷちどるの癖なのだろう。泣いたカラスがなんとやらだ。

「心配しなくていいのよ~。このまま連れていかれると酷い目にあってしまうわよ~」

やさしげな笑みを顔に張り付けたままこの女は不穏当なことを言い出した。

「まきょ?」

「なっ!?」

その言葉に反応したのは、当の飼い主になろうという母親である。
目の前で虐待をすると決めつけられたのだ、これ以上の侮辱もないだろう。それも初めて会った見も知らぬ他人にだ。

「あんたら一体なんのつもりなんだ」

俺自身、さすがにこの態度には我慢ならなかった。

「ふむ、見ない顔だね」

男の目がこちらを見る。柔和な笑みを浮かべているが、その奥の目は笑っていないようだった。
単純に虫が好かないからそう思えただけかもしれないが。

「君は、この施設でぷちどるたちを実験動物として扱っているのを知っているのかね」

男は、大仰な身振りを交えながら演説し始めた。
正直言って最初の一言目からわかるように聞くに堪えないものだった。
職員さんもうんざりしている。何度か聞かされているのだろう。

「ぷちどるたちを人間の欲望のままに檻に閉じ込め、飼おうなどというのは傲慢でしかない」

一区切りついたのだろうか、周りの仲間たちが拍手でもって男をたたえる。
自らに陶酔し始めた男は、より激しい身振りで演説を打つ。

「あぁ、可哀想なぷちどるたちよ。狭い部屋に閉じ込められ、実験動物として塗炭の苦しみを味わっていると思うと、我々の胸は張り裂けそうだ」

なんて、奇妙な光景か。
困惑する母親の前で、演説する男。子どもは大男にまこちーを返すように、泣きさけんでいる。

「……あの」

「はーい、そこで演説している方ー」

職員さんへと声を掛けようとすると、自転車に乗った警察官が男と母親の間に走りこんできた。

「またあんたたちか。相変わらずデモの許可を受けてないでしょ」

「我々は権力の横暴には屈しない!!」

「はいはい、あー、そこの君、その手に持っているまこちーは君のか?」

「……」

大男は、無言で警察官をにらみつける。しかし、その手の手合いには慣れたものか、平然としている。

「あー、ペットが盗まれた、と通報が来ているのだが……」

「離しなさい」

男が、大男に短く命じた。ぱっ、と手を離され落下するまこちー。

「まきょっ」

地面へと落ちたまこちーは、体をひねって着地すると、子どものもとへと走っていった。

「誤解ですよ」

男が、警察へと言い訳を重ねはじめた。
デモを妨害されたとか、サヨクが喜びそうな件なら警察とも張り合えるが、窃盗という分かりやすい犯罪行為でしょっ引かれるのであれば、さすがに分が悪いと悟ったのだろう。
PPPの連中は、這う這うの体で逃げ出した。

「いつもお手数を掛けます」

職員さんが慇懃に警察官へと礼をする。

「いえいえ、困っている市民の味方ですから」

そういいながらも視線は職員さんから離さないあたり、特別な感情でも持っているのだろう。微妙に距離が近い。
職員さんが一歩距離を開ける。
あー……ドンマイ。

「あの、いいですか?」

そんな二人に割り込むように母親が声を挟んだ。幼女の手をしっかりと握っている。

「はい」

職員さんは明らかに暗い顔で、その母親に相対した。これから何を言われるか、理解している顔だった。

………………

「まこちー!!」

「まきょーぉぉぉっ!!」

幼女は、まこちーから引き離され、母親に手を引かれて、引きずられるように施設を後にする。
職員さんに抱かれたまこちーも、涙でその後ろ姿を追う。
結局、親子はまこちーを飼うことを断念した。母親の懸念を理解できない子どもは、最後まで反対していたが。
まこちーを飼うことの覚悟はできても、PPPとのかかわり合う可能性があるだけで尻込みするのは仕方のないことだと思う。
ああいった集団圧力にさらされるのは一般人にとってはつらいものがある。
何せ、一般常識というのが通じない。こういった活動に傾倒する人間というのは皆そんなもんだと思っていた。それこそ保護団体に属する前の自分自身そう思っていた。
親子の姿が見えなくなると、職員さんは、悔しげな顔を隠すこともできずに、涙を流すまこちーを慰めているのだった。


「とかー」「ちー」

声が聞こえた。こあみ、こまみと呼ばれるぷちどる。左右対称の双子のぷちどる。
でも影は一つだった。
頭は二つ。体は二つ。手足は一対。縫い付けられた体をお互いが支え合いながら、

「とかー」「ちー」

二人二脚のぷちどるが虚ろな目で歩いていく。

「な”ぁぁぁっ、な”ぁぁぁっ!!」

頭から火を上げたあふぅが転がっていく。

「うー。うぅぅっぅうう……」

両目から血を流したやよがふらふら、ふらふら。

「ぽぉー、ぷぃー」

両手どころか両足も失ったゆきぽが、地面の上をくねる。
ぷちどるたちの苦悶の呻きをBGMにした、フリークスの奇怪なパレード。

あぁ、わかっている。これは夢だ。

目を開けば、安アパートの天井。
枕もとの目覚まし時計に目をやれば、まだ四時前だった。
もう一度まぶたを閉じる。が、すぐに目を開いた。
じっとりと汗ばむ体が、夏が近づいていることをいやおうなしに感じさせる。
せんべい布団から抜け出すと、タイマーの切れた扇風機を入れ直し、テーブルに置かれたノートパソコンを起動させる。
眠ろうとするとまた悪夢を見るからだ。
救えぬぷちどるが増えるたびに、悪夢を見る頻度が上がっている気がする。
いや、救えると思うのが傲慢なことはわかっているが、それでも何の成果が上がっていないような気がするのがつらい。
型落ちのパソコンが時間をかけて立ち上がる。
インターネットにつなぎ、ニュースを見ていく。ぷちどる関連のニュースを中心にだ。

PPP。
ぷちどる・ピースフル・パートナーズ。
ぷちどるの良き隣人を目指して設立された団体……らしい。
簡単に調べた限りでは圧力団体のようだ。シーシェパードのようなものを想像すればいい。
現状、ニュースになるような過激さはないようだが、ぷちどる保護の法律への圧力をかけているようだ。
理念としては、ぷちどるへの干渉を止め、自然の状態を保つようにする。
高い知能をもつぷちどるを人のエゴで縛ることは許されない……と。
活動内容としては、啓蒙や保護が中心となっている。

「…………」

とはいえ、評判は最悪のようだ。ネットで軽く調べるだけでも次から次へと出てくる。
各地で飼い主を脅すようなマネをしているようだ。
やることといえば、数を頼みの圧力しかやることがないのだろうか、まさにカルト教団のようだ。
ぷちどるが行方不明になる案件もあるが、PPPの仕業と噂されている。
そして、もう一つのある団体が最近目立つようになってきていた。

「害獣のぷちどるを排除しろー!!」「排除しろーー!!」

物騒なシュプレヒコールが木霊する。
警官たちに囲まれて、ぷちどる排除隊とのぼりを持った人を戦闘に街を練り歩く。

「街を破壊するゆきぽを処分しろーーー!」「処分しろーーー!」

「仕事を奪う、ちっちゃん、ぴよぴよを働かせるなーー!」「働かせるなーー!」

スコップでそこらじゅうに穴を掘るゆきぽの排除と、事務仕事を奪いつつあるちっちゃんぴよぴよの二匹の就労制限を求めていた。

「ぷちどるを守れーー!!」「ヘイトスピーチはんたーい!!」

街角からまたも別の声がかかる。
幾人もの男たちがデモ隊を取り囲んでいく。
その手に「ぷちどる排除隊をしばき隊」と言う横断幕を掲げているものたちもいた。
PPPであった。ぷちどるを守れと言いながら血の気の多い男たちが、デモ隊へと殴りかかろうと近づいていく。
しかし、それらは、デモ隊を取り囲む警官たちに排除されていく。
ぷちどるの排除を訴える人々こそが大人しくデモを繰り返し、ぷちどるの保護を訴える人々こそ暴力に訴える。
ぷちどるの件に限らずともありふれた光景であった。
自らの正当性を訴えるのに暴力を伴わせるのは、もっとも愚かしい行為である。しかし、正義に酔った人間ほどそのことに気がつかない。

俺は、ウィンドウの右上の×をクリックする。動画投稿サイトごとウィンドウを閉じた。現実もこれでなかったことにできればいいのにと、詮無きことを思う。

後にニュースになっていたが、PPPの幾人かが逮捕されたようだ。
このことによってぷちどる排除隊とPPPの争いは激化の一途を辿るのだった。


「そろそろ立法の見通しが立ったようだ」

ある日の集会で代表はそう告げた。沸き立つ事務所だったが、代表の顔色は優れない。

「PPPと排除隊の影響があるのだろう……」

「ゆきぽとちっちゃん、ぴよぴよの件ですか?」

「ぽぇ?」

事務所のゆきぽが、呼ばれたのかと思ったのかこちらを見上げる。
ぽんぽんと頭を撫でてやると、にこっと笑う。愛らしい笑顔だった。
こんな子を排除しろというのか。
臆病で、逃げるために穴を掘ってしまうのは、人の中ではとても生きにくいものだ。その力とスコップはコンクリートすらぶち抜くのだから。
それでも、きっとともに生きていける方法があるはずだ。施設でのゆきぽたちもまたその一つの形であるのだろう。

「そうです。県単位では、駆除を許可する条例が出ていますが、それも愛護法が成立すればなんとかできたのですが……」

代表の声のトーンが一段落ちた。

「どうも、ゆきぽに関しては特定外来指定へと傾いているようです」

その言葉に、あたりがざわつく。
しかし、外来とはどういうことなのだろう。いつの間にかあらわれ増えていたぷちどるたち。その発生の不確かさもまたぷちどるの法的地位の宙ぶらりんさの要因だったのだが、外来生物として片付けるのだろう。

「それは、保護対象ですか?」

一人が声を上げた。ほかの人も大なり小なり声を上げていく。最悪よりも次善ではないが、希望を求めるようであった。
しかし、代表の沈黙があるよりも雄弁な答えとなった。
希少でない特定外来生物は防除の対象。つまり、捕獲後、殺すということだ。

「そんなっ!!」

あちこちから悲鳴に似た声があがる。代表は手を上げて制すると、

「まだ間に合います。ゆきぽも保護対象となるように働きかけていきましょう」

「はいっ!!」

事務所の皆の意思は一つとなった。
とはいえ、やることは変わらない。変えようがないのだ。無力な我々だが、その行動が人々の意識を少しでも変えられることを信じていくしかない。


「はぁにぃぃっ」

夏も盛りになり、あふぅが茶髪になる発情期を迎えた。
今も、ケージを揺らしてこちらへと飛び掛からんとしている。
保護されたあふぅは、なぜか初対面の俺にも飛び掛かってきた。そもそも、街行く男性すべてに飛びかかっていたために、保護となったわけなのだが。
親しい男性だけに飛びかかると言われているあふぅがなぜ、こうもすべての男性に飛びかかっているのか、保護されたあふぅを連れて、保護施設のドクターへと見せた。

「ふぅむ。この子、頭に怪我していたねぇ」

「はにぃはにぃはにぃはにぃ……」

目を血走らせたあふぅは、やはり初対面のドクターにすら発情しているようだった。
ドクターが茶色の髪の毛をかき分けると、こめかみ近くに大きなハゲがあった。古い傷跡のようだ。

「もしかしたら脳にも影響があるのかもね」

どこか楽し気に言うドクター。

「うん、発情のメカニズムってのはよくわかってないんだけど、怪我がもとで誰にでも発情しているのかもねぇ」

ドクターは独り言ちると、何かを納得したのか一人でうなずいていた。

「いやぁ、良かったねぇ。もしかしたら、車に乗ってる男性に突っ込んで大きな事故を起こしていたかもしれないから早めに保護出来て、よかったよかった」

ご苦労さん、と労わられた。
あふぅをドクターに任すと、俺はそうそうに診察室を後にした。

あの日、保護施設の手伝いを行ってから、代表に頼みこんで時間があれば、保護施設の手伝いに行かせてもらっている。
初日は散々な目にあったが、それ以降は大きな面倒事はなく。……いや、ときおりPPPの連中が出没するくらいだった。
決まった時間に現れては、玄関で騒ぎたて、警察が来ると蜘蛛の子を散らすように消えていくというルーチンワークにもいい加減慣れてくる。
それよりもぷちどるの世話の方が毎日いろんな問題と発見の連続で大変だった。
ぷちどるは人懐っこい。警戒心というものが全くないのだ。
初めて会った時などはじっとこちらを見つめてくるが、笑顔を浮かべるだけで警戒心を解く。頭を撫でてやろうものなら、すぐに懐くのだ。
巨乳を敵視すると言われているちひゃーですら、思い返したように威嚇するだけで、慣れればなんということもなく甘えてくる。
しかし、その「懐き」がおそらく最大の問題なのだ。
警戒心のない懐きやすさは、そのまま人間への「甘え」となる。心の距離感が近く、人見知りなどしない。
愛らしい顔立ちに満面の笑顔を浮かべて甘えてくるのだ。可愛いくないわけがない。
だが、そこで甘やかしてしまえば、あとは転げ落ちるように我が儘し放題になる。
この施設で保護されているぷちどるたちの大半が、それが原因でここにいる。
人間に責任がないとは言い切れない。が、それでも弱い立場にあるのがペットたちである。

「いずれ、ぷちどるの飼い方も広く伝えることができればいいのですが……」

職員さんが悔しげに言った顔が忘れられない。
その望みも法律の転がる方向によっては、どうなるかわからなかった。


  • 最終更新:2015-11-29 05:44:14

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