アレルギーであふぅ
「ナァノォーっ、ナァノォーっ!」
ぼりぼり、ぼりぼり、ぼりぼり…………。………ぐちゅ、ぬちゅ……。
ある日、Pが営業から帰ってくるとあふぅが涙を流しながら膝?の表裏をかきむしっていた。
手のひら?も擂り合わせるようにしているのは、かいているからか。
膝の表裏は、赤くなるどころか、かき壊して血がにじみ始めていた。
痛みがつらいのだろうか、かゆみが酷いのだろうか、泣き止むことはなかった。
痛くてもかくのがやめられないようだった。
「おい、あふぅ」
Pがあふぅの手を掴んでかくのをやめさせる。
「ヤーーぁ!!」
イヤイヤと、首を振って暴れるあふぅ。
何時ものうそ泣きとは違う、ぽろぽろとこぼれる涙にPは途方にくれるしかなかった。
「ただいま戻りましたー!」
律子が戻ってきたようだった。頭の上にはゆきぽが乗っていた。手に袋を持っていることから、どうやら買出しに行っていたらしい。
そこで律子が見たのは、猿轡を噛まされ、手と足に包帯を巻かれた上で簀巻きのようにされたあふぅだった。
あふぅはムームーとうめきながら涙を流していた。
包帯を結んでいたPと目が合う。
「何やってるんですかぁ!」
律子の蹴りがPの顔面を捉えた。
「り、律子、ちがうんだ。かくかくしかじか」
「まるまるうまうま。なるほど」
Pがした説明は、こうだ。あふぅが体をかきむしる。包帯を巻いたが、歯で外そうとするので猿轡をさせたというのだ。巻いているうちにどんどんぐるぐる巻きになってしまったのだった。
あふぅは泣きつかれたのか、今は寝入っていた。このまま棺おけに入れればエジプトのミイラのようだった。
律子は、あふぅの膝のあたりにまかれた包帯をめくり上げた。その眼鏡の奥の瞳が、苦痛にゆがむ。
「これは、ひどいですね……」
足だけではない、腹周りなども引っかき傷が出来ていた。どれも膿んだようになっている。
「律子は、今日事務所に居たんだよな?」
「はい……」
律子が、買出しに行く前までは、あふぅは何事もなく寝ていたようだった。時間にしてほんの三十分ほどだと言う。
今は、夕方の五時を回ったところだった。
「昼は、何を食べさせた?」
「何時ものようにおにぎりです」
ほぼ三食おにぎり。それも塩むすびだった。
もちろん雑食なので他のものも食べるが、基本的におにぎりがあればそれに飛びつき、腹が満たされれば眠るという生活を繰り返している。
それ以外に事務所にあるものといえば、もらい物のお菓子である。
Pは、腕を組んで考え込んでいるようだった。
「うーん……あふぅはアレルギーになったのかもしれないな……」
次の日。
「ごはんよー」
「ぽぇ~」「ぴっ!」「ナノー……ナノッ!?」
律子の呼ぶ声に、わらわらと出てくる事務所住みの三匹。
皿に手を伸ばす二匹とは違い、あふぅだけが皿の上の食べ物を見て驚く。
そこには、いつものおにぎりではなくコッペパンが乗せられていたからだ。
「ナノー、ナノー」
「だめよ、今日はパンで我慢しなさい」
「ナー……」
しょんぼりとして、あふぅはパンへとかじりついた。
次の日も、次の日も、出てくる食事はパンばかりだった。
「ナッノー!!」
がしゃん。ついにあふぅは皿をひっくり返した。いい加減パンばかりの生活に嫌気が差したのだった。
「あふぅっ!」
律子に怒鳴られたあふぅは、一瞬たじろぐもその大きな目に涙を浮かべて大泣きしだした。
その様子に律子は困ったように頭を抱えたのだった。
「たっだいまーなのー」
そこに美希が帰ってきた。
「あれ、あふぅどうしたの?」
そう言いながらも、泣いているあふぅに興味がないのか、美希はソファへと座り込む。
あー疲れたと言いながら既にだらけていた。
「お腹空いたの……」
美希は、起き上がると脇に置いたカバンからおにぎりを取り出した。
それを見逃すあふぅではなかった。
「あっ!」
律子が制止しようとしたがもう遅い。
「ナノッ」
美希の手からおにぎりが消えていた。
ガツガツ、ごくんと、あっという間にあふぅの胃袋へと収まってしまった。
げふっ、と満足気にゲップを一つつくと、早くも横になって寝息を立て始めた。
「美希の……美希のおにぎりが……」
許さないの。と、立ち上がる美希を律子がとめた。
普段ならあふぅを率先して叱る律子が、今日は妙に甘い。
しかし、美希の思い違いだった。
律子の瞳には、あふぅに対する諦めと哀れみがあったからだ。
数時間後。
あふぅが飛び起きた。律子の感覚ではこの前よりも短い時間だった。
「ナ”あ”ぁ”ノ”ぉぉぉぉっ!」
猛烈な勢いで体を掻き毟り始めた。治りかけていた肌は、あっという間にボロボロになっていく。
「な、なんなの、なんなのなの?」
律子に言われるままに、事務所で過ごしていた美希は、いきなり始まったあふぅの狂態に動揺しているようだった。
「どうやらアレルギーになったみたいなのよ」
律子は冷静さを装っていたが、その声は震えていた。どうすることも出来ない無力さに打ちひしがれているようだった。
「ナ”ああぁあ、ナ”あぁぁぁ」
あふぅはのた打ち回っていた。
律子があふぅの体を支えようとしたが、その小さな体は、不規則に動き回り上手くいかないようだった。
手の届かない背中をかく為に、壁に体を叩きつけている。
いつもの大暴れよりも、痛々しい姿だった。
呆然としていた美希も手伝おうとしたが、律子に止められた。
「美希は来ちゃ駄目よ!」
グラビアの仕事の多い美希の体に傷をつけるわけにはいかないという判断からだ。
おろおろとする美希は、ようやくプロデューサーに電話することに気がつく。
Pが帰ってきたのは、あふぅが小康状態になったころだった。
「プロデューサーおかえりなさい」
律子が、寝入っているあふぅを抱き上げていた。
その手には引っかき傷なのだろうか、幾筋かの傷が出来ていた。
「このっ……」
Pは律子の様子を見て頭に血が上っているようだった。それもそうだろう、アイドルの体に傷をつけて、恩を仇で返されたようなものだ。
あふぅをへと手を伸ばしたPをとめたのは律子だった。
「あふぅは病気なんですから……」
そういった律子に、Pは何も言えなかった。
だが、あふぅの食事はより厳密に管理されるようになった。
あふぅは自分の体に起こったことが理解できずに、おにぎりが食べられないことにたびたびかんしゃくを起こす。
律子やちっちゃんがそのたびに叱るのだった。
しかし、それでもあふぅのアレルギーはだんだん酷くなっていくようだった。昨日まで食べられたものが今日は食べられなくなる。
そのたびに、あふぅは七転八倒の苦しみを味わう。それどころか別のアレルギー症状が発生したのだった。
「おーいあふぅ、行くぞー!」
「……ナノー」
少しでも症状を緩和させようと、食っちゃ寝のあふぅの生活を改善させるために、Pが連日昼休み返上で散歩へと連れ出している。
あふぅも外へ出るのは嫌ではない。嫌なのは、Pの手に握られているリードだった。
首輪をつけるための首がないので、仕方なく紐で体を縛り上げる。そのため、自由に動けないことがあふぅにとっての不満だった。
「こら、齧るな」「ナー」もしゅもしゅ
リードを付けられるたびにあふぅは、紐を齧るのだった。
外にでたPとあふぅは近くの公園へと向かう。
途中で見かけるコンビニ。あふぅは、直ぐにそこへと突撃しようとする。あそこには山ほどおにぎりが置いてある楽園だとでも思っているのだろう。
「ンナッ!」
そのたびに、紐を引かれる。いい加減学習しろ、とPは呆れ顔。
やがて、公園へとたどり着く。
Pは、ベンチへと座る。あふぅは、そこらへんを駆け回っていた。リードは長めに取ってあるとはいえ、せいぜい数メートルの自由だったが。
空からは、暖かな太陽の光が降り注ぐ。小春日和であった。
連日の激務からか、Pはうつらうつらと船をこぎ始める。
「ナノ?」
いつしか、Pは寝入っているようだった。リードをするすると引っ張ると、その手に握られているはずの先端があふぅの元へと引き寄せられた。
何処かへと紐を結んで置けばよかったのだが、Pはうっかりと忘れていた。いや、そもそも寝てしまうことが想定外だったのだ。
「ナノーっ!」
久方ぶりの自由に、あふぅは駆け出した。ほんのちょっとなら遠くへ行っても大丈夫。Pが起きる前に戻ってくれば大丈夫。
いつしかあふぅは公園を飛び出していた。
リードをずるずると引きずりながら歩くあふぅ。その足は、いつの間にかいつも通るコンビニの前へと来ていた。
ごくり。
喉を鳴らすあふぅの視線の先には、冷蔵棚に並べられたおにぎりの列。
どれほど食べて居なかったろうか。あふぅの感覚では遥か昔のような気もする。口一杯に広がるおにぎりの味を思い出して、よだれを飲み込むのだった。
欲を我慢できないのはぷちどるのサガなのだろうか。
あふぅの足はコンビニの中へと向いていた。
ウィーン。
モーターの音を立てて開く扉。
あふぅは駆け出していた。
「んおっ!」
がくッ、と体に感じる衝撃とともにPは目が覚めた。
辺りを見てもあふぅは居なかった。手元を見れば紐を握っていない。
「しまった」
Pは、慌ててあふぅを探した。
と言っても、あたりはつけてある。コンビニだ。
あのアホが行きたがるところなどそうあるわけがない。
予想通りコンビニにあふぅの姿はあった。
おにぎりの棚によじ登っている。
「あふぅっ!!」
Pは、コンビニへと入る。ゆっくり開く扉ももどかしく隙間へと体を滑り込ませた。
びくっ、振り向いたあふぅの口元にはむき出しのおにぎり。不器用なのか海苔は何処かにいって中の白いご飯だけが包装紙から出ていた。
Pは、あふぅを捕まえようとした。
ごくん。
あふぅはおにぎりを一のみすると、Pの手をすり抜けて逃げ出した。
「待てっ!」
追いかけようとするPの肩を掴んで止めたのは、コンビニの店員だった。奥へどうぞー、くいっと立てた親指は事務室へと伸びていた。
あふぅは、逃げ出した。Pに叱られることを恐れてだった。
薄暗い路地裏へと逃げ込んだあふぅは、息を潜めた。
ここでしばらくほとぼりを冷まそうという腹積もりなのだろう。
満たされた腹をさすりながら、エアコンの室外機の上で寝息を立て始めた。
あふぅが目覚めたのは、息苦しさからだった。
息は吸えるが、喉がつまったように空気が出て行かない。
かひゅー、かひゅー。
喉の奥で笛のような音がなる。
「ナ”、ナ”あ”、あ”……」
身をよじると、室外機から転げ落ちた。
身を打ち付けた痛みよりも呼吸が出来ない苦しさの方が勝ったのか。
その手は地面をかく。
かひゅー、かひゅー。
息を吸えるけど吐けない。
地上に居ながら水底へと沈んでいくかのように体が重い。
何時ものように来る突発的な痒みとは違う。
苦しい。苦しい。苦しい。
「ナぁ……ナァ……」
片腕で喉元を押さえながら、片腕はどうにもならなさに地面を叩く。
「ナ……」
やがて、あふぅの体から力が抜ける。目は見開かれたまま、涙が端からこぼれ地面へと落ちていく。
だれも通らぬ路地裏で、ひっそりと小さな命の幕は閉じられた。
だれからも見取られることもなく。
「あふぅー、あふぅー」
どこかでPたちが探し回る声が響いていた。
おしまい
- 最終更新:2014-02-20 16:59:32