屋上のぷちどる ちひゃー編

 階段を一段、また一段と登るたびに聞こえてくる鳴き声は大きくなってゆく。
 いつからか、どれだけ繰り返したのだろうか。これほど憂鬱な気持ちで、事務所に続くこの階段を登るのは。

 意を決し、ドアノブに手をかける。覚悟を決める?いや、とうにそんな前向きな感情は捨てた。頑張る方が、無駄なんだ。

「おはようござ……」
 
「ナッ!」「ヤー!」「とか!」「ちー!」「くっ!」「うっうー」「かっかー!」「も!」

「……」

 俺が事務所の入り口から見たものは、まさに現代に現れた地獄絵図そのものだった。
 コンクリート製の床は月面のクレーター群のように穴だらけで、きちんと敷き詰められていたキャビネットは崩れ落ち、整頓されていたはずの事務机は見る影もなく荒れ果てていた。

「ハァ……」

 これまた見事に窓の面積並みに大きな穴から吹き付ける風にため息をつく。
 眼前の惨状にどこから手をつけようか、と悩むことさえ虚しい。誰かの手を借りることも出来ないと分かっている。
 律子は担当グループである竜宮小町の面々と共に全国ツアー中。音無さんと社長は巷を騒がすインフルエンザであえなくダウン。今、この事務所にいる人間は俺だけだ。

 ―――ぷちどる。
 こいつらが一体何者であるのかなんてことを考えても仕方ない。見た目こそ我が765プロ所属のアイドルに似通ってはいるものの、正直言ってこいつらは化物だ。
 水をかぶると分裂したり、音に反応して空間跳躍したり、どこからともなく取り出したスコップで床に穴を掘った……ヤメロォオオオオー!!!

「ぽぇ~?」ザックザック……

 こいつの名前は”ゆきぽ”
 どこからともなくスコップを取り出し、あたりかまわず穴を掘ったあげくにその穴でさも気持ちよさげに眠るのだ。

「ゆきぽ、頼むから事務所の床を掘るのはやめてくれ……」

「ぽえ?」

 聞こえているのかいないのか。ご覧の通り、糠に釘だ。
 ぷちどるには人間の言葉が通じる。もちろん、ある程度のニュアンスでなんとなく理解している程度のものだ。
 これまで何度も何度も同じように繰り返し伝えたものだが、翌日ならまだしも、当日中に再度穴を掘り始めた時は殺意が湧いた。

「ぽぇっ!」

 いい仕事が出来た、とでも言わんばかりの笑顔を見せるゆきぽ。
 もう言葉が出なかった。がっくりと肩を落として、ささやかな現実逃避を試みている俺の頭部に、何かしらの重さが加わった。

「くっ!くっ!」パシパシ

「……」

 頭にしがみつき、軽々しく叩く”ちひゃー”
 こいつは事務所を破壊しないだけゆきぽよりマシ、と言えればまだいい方だ。冬場になると伸び放題になる自分の髪を他人にブラッシングさせる。それも二時間かけて。
 今もこうして俺の頭を叩いているのも、決して励ましているわけではない。腹が減った、暇だ遊べ、髪の毛をブラッシングしろ、のどれかだろう。

「あー、ちひゃーか。どうした、千早は一緒じゃないのか」

 絶望的な状況ではあるが一応、飼い主の所在を訪ねてみる。

「くっ!くっ!くっ!」ペシペシ

 何言ってるのかわけがわからん。理解したくもない。勢いづけて頭を叩くな。

ちひゃーを頭に乗せたまま立ち上がる。こんな目にあうのも、悲しいかなすっかり慣れてしまった。

「くっ?くっ」

「……」

改めて事務所を見回す。ここはもうダメだ。そう思うに十分な景色だった。

響がいうには、動物を飼うというのは想像以上に大変なことらしい。俺自身、今は一人暮らしなのでそういった事は出来ないが実家には犬がいた。何度か散歩や餌をやったこともある。
犬や猫ならばきちんと躾ければルールは守るし、癒されることもあるだろう。ペットビジネスが成り立っているのはその証拠だ。
だが実際に飼い始めると早朝に鳴いたり、夜に餌をくれとぐずるようなこともあるだろう。しかし、そんな手間はこの惨状を引き起こすぷちどるどもとは比べられるまでもない。

この事務所を修理や掃除をする手間と、新しい事務所に引っ越す手間暇のコストが俺の脳裏を横切る。そう、最早多少の出費は仕方ない。これだけの事が起きているのだから。
俺はサラリーマンで、ここは会社だ。無駄な経費を削減するのも、俺に与えられた大事な仕事だろう。
俺が、やらなくちゃいけない。これは他の誰にも任せられない仕事なのだ。

かろうじて原型を残しているホワイトボードを引き起こし、書き連ねられた予定を確認する。 
アイドルたちは学校やら、ツアーやら、それぞれの事情でいない。音無さんと社長もしばらくは動けない。
好都合だ。ここにいるのは俺と、こいつらだけという事実に自然と笑みがこぼれた。

「はは……は、?」

いや、俺は笑っていたのか。
そう理解して、もはや瓦礫の山と呼ぶにふさわしい残骸の中から電話機を何とか発掘する。
残っている留守電メッセージを確認したが0件だ。改めて電話を留守電に設定する。

目を閉じて深く、息をつく。

「よし、決めた。ちひゃー降りろ。今日は無理だけど、明日は存分に相手してやるからさ。な?」

「くっ!」フンス

何を思っているのかは知らないが、しょうがないから今日は勘弁してやろうというところだろうか。俺の頭からおりたちひゃーはふんぞり返った偉そうな表情を見せ、何処かへと消えた。
それぞれ思い思いに過ごす”怪物”たちを尻目に、必要書類を簡単にまとめる。連絡先などのデータはバックアップを二重に取ってあるし、大事なものは社長自慢の金庫に入ってる。このビルが倒壊しても大丈夫だよキミィ、と言ったのを覚えている
最悪足りないものは後日買い揃えれば良い。心機一転、新しい気分で再スタートと行こう。

「じゃあ俺は出かけるから。おとなしくしてろよ?」

努めて、普段通りに。バレた所でどうこうなるわけでもないが、それはそれで気分が悪い。
俺の言葉などどこ吹く風か。相変わらず騒がしく、足元をわらわらと行き交う小さな化物どもを避け、俺は事務所を後にする。

「また、明日な―――」

 
「これまた派手にブッ壊れてるなぁ……」

翌日、外から見上げても明らかに損壊している事務所を見上げた。
この光景を見るのも今日が最後か、と思うと清々する。それと同時になぜもっと早く決断しなかったのかとも思った。
仕方ない。人間は後悔と選択を繰り返して生きてゆくのだから。

事務所へと続く階段を登る前に、一階のたるき亭に立ち寄った。
急な話だが、今日限りで退去する旨を伝えた。ぷちどる達の事で色々迷惑をかけたことをわび、また落ち着いたら必ず食事に着ますと約束した。
実際問題、たるき亭のみならずヤツらの存在は近隣住民にとっても迷惑この上なかったのだろう。

化物どもめ。お前たちが好きにできるのも今日これまでだ。
用意していた荷物を屋上に運ぶ。事務所の扉はもはや人外魔境の入り口と言って差し支えないだろう。様々な鳴き声や、何とも言えぬ匂いや振動。もはや人間の行き交う空間ではない。

屋上に着いた。下の階からの振動などの影響はここにまで及んでいるようで、所々にひび割れが見える。老朽化ってレベルじゃねーぞ。

しかし見上げるは晴れ渡る青空。何を思い出すまでもないほどに、澄み渡った空だ。雨でも降られたらどうしようかと心配にもなったが、良い天気だ。
包袋からブラシを取り出しながら階段を下る。始業時間はとうに過ぎているがさほどの問題でもない。ドアノブに手をかけ、躊躇なく扉を開いた。

「ナノッ!」「ヤー!ヤー!」「とか」「ちー」「くっ!」「うっうー」「かっかー」「もっ」「ぽ、ぽぇ」「だぞー!」

昨日の繰り返しのような光景。様々な鳴き声が耳を劈く。自身に渦巻く怒りを堪え、鉄面皮の無表情を貫いた。
時々こいつらが羨ましくなる。好きなように生き、好きなように振る舞い、好きなように我を通す。
だがそれは人間として幸福なことなのだろうか。他者に何かを強要するような、己の負担を他者に強いるような、そんな独善が。
いや、それすら違う。こいつらに他人を思いやるような気持ちなどない。常識のハードルが人間とはあまりにも違いすぎるのだ。

ぷちどるにも喜怒哀楽はあるのだろう。悲しければ泣き、嬉しければ笑う。だがこいつらの”それ”はあまりにも一方的だ。
正当性がない。怪我をした子供に消毒液がしみるけど我慢しようね、と言えば涙を堪えて歯を食いしばるだろう。だが、ぷちどる達にはそれが通用しない。
例えば先にも言った怪我の治療一つにしても、消毒液の痛みが堪えられなければ手当をした人間に敵意をぶつけるだろう。

そんな理不尽な仕打ちも今日までだ。765プロぷちどるの我が儘ランキング1,2位を争う青い毛むくじゃらを見つけた。

「おーい、ちひゃー」

歩きながら声をかける俺に気づいたのか、まさに毛玉と呼ぶにふさわしい頭部が稼働する。目があった。心底、嫌だ。

「くっ!くっ!」ピョーイ

この欲求に対する行動力だけは素直に驚く。決して自分がそうなりたいわけではないが、こいつらの思考に遠慮とか我慢とかっていう言葉はほとんど無いと言っていいだろう。

「くっ、くっ!くっ!」ペシペシ

人の頭によじ登るとこれまた軽そうに頭を叩く。こいつらにとって俺は都合の良い召使なんだろう。言えば何でもしてくれる、奴隷のようなもんだ。

ちひゃーを頭に乗せたまま、事務所の奥へ向かう。時間稼ぎのためだ。
室内を横切り、給湯室の入り口に差し掛かったそこで地面の窪みに脚を取られた。危うく全身を強打しそうになったが、そこは何とか踏みとどまった。
しかし俺自身はそれで良いものの、頭の上にしがみついているちひゃーはそうもいかない。掴む腕に力がこもるのが分かり、二つの意味で頭が痛くなる。

「痛いんだって、ちひゃー!大丈夫だから、そんな思い切り掴むなよ!」

「くっ!くっ!シャー!」バシバシ

直接の原因―――穴を掘ったのがお仲間であるゆきぽだと理解してるのかいないのか。自分を危険な目に合わせたのはお前だ、だからお前が悪いんだ!ちひゃーの心情にしてみればそんなところだろう。

さっさと済ませてしまおう。背後から聞こえる声がますます大きくなっている。腹が減り続けて最悪、下階のたるき亭に雪崩込む前にある程度は済ませておかなければならない。
背の高い食器棚の上部から、幾つか袋菓子を取り出す。いや、この際だ。全部行こう。残してもしょうがないし、意味がない。両手一杯に食料を抱えて給湯室を出た。

「おーいお前たち、ご飯だぞー」

その声を言うが早いか聞くが早いか、わらわらと足元に集まってくるぷちどるども。
正直言って、この光景だけを一度限り見るとすればこいつらは若い女性受けすることも考えられるだろう。人形や、写真くらいを上手に作って売れば儲けになるんじゃないか。そう考えていた時期が僕にもありました。

改めて繰り返しになるが、こいつらは我が儘で自分勝手で気分屋で遠慮という言葉を知らない化物だ。自分が、今の一瞬が、気分良ければそれで良いのだ。そのくせ世話になっているという自覚もなく、普通のペットの数十倍単位で手間がかかる。
千早が就寝中に寝ぼけたちひゃーに顔に乗られ、窒息しかけた事件は記憶に新しい。翌日、かなり大胆に髪を切ったのにも関わらず明けた次の日には髪が元に戻っているというから驚きだ。

そんなこともあり、ぷちどるを事務所から退去させようという声もあった。
しかし、どこに捨てても必ず奴らは戻ってくるのだ。
はるかさんを引き取ったというあの島に戻しても、富士の樹海に投げ捨てても。社長が冗談まじりの口調で火山の火口ならどうかね、と言っていたのを俺は真剣に検討したほどだ。社長、それが多分正解ですよね。

「たっぷり食えよーいっぱいあるからな」

そう言って手当たり次第に袋菓子の封を切っては投げ、切っては投げる。食べ物をこんなふうに扱えばやよい辺りに怒られそうだがしかたない。これは動物に対する餌やりのようなものだから。
動物園でワニに餌をあげよう、みたいな企画が時々あるだろう?そんな感じだ。珍しいものを見て楽しんだり、驚いたりすることが出来ないのが問題だが。

投げ込まれた餌に群がるぷちどるたち。よほど腹が減っていたのか、もの凄い勢いで菓子を食べている。結構な量があるはずだが、心配になるほどの激しい勢いだ。
奴らにもそれぞれ食べ物に対する好き嫌いはあるが、食い意地がはっているだけに空腹なら何でも良いのだろう。悪食にも程がある。

「くっ?くっ、くっ」ペシペシ

こいつは主にパンを食べるのだが、お菓子類が嫌いなわけではない。眼前で他のぷちたちが広げる食事風景を見て、腹が減ったと訴えているのだろう。

「ああ、悪い悪い。ちひゃーのは別に用意してあるんだ。昨日、言ったろ。天気も良いし、屋上で飯でも食いながらブラッシングしてやろうと思ってな」

手にしたブラシをちひゃーの見える位置にまで上げてやる。そう、今日は嫌になるほどの快晴で、新しい事を始めるにはもってこいのお天気日和だ。
詐欺師でももう少し胡散臭い話を持ってくるだろう。それで信じ込ませるのが詐欺師の腕の見せどころなんだろうが。

「くっくっくー♪」キラキラ

「”存分に相手してやる”って、言ったろ?わざわざ用意してやったんだぞ?」

その言葉を聞いても訝しむどころか、上機嫌になるちひゃー。あまりにも事があっけなく予定通りに進み、つまらん笑いが溢れる。





――――ああ、安心した。

このリアクションを見て、思った。やっぱりこいつらは人間の事を何も解っちゃいない。解ろうともしない、化物なのだと改めて理解した。

こいつらを処分することになんの後悔も躊躇もない。世が世なら真っ先に社会から抹消されていたこいつらが今日まで生きてこれたのは765プロの――――俺の甘さがあったからだ。

ちひゃーを頭に乗せたまま、階段を登る。当たり前だが、この一歩一歩がこいつにとっての死刑執行の十三階段になる。

屋上に着いた。扉を開き、頭上のちひゃーをゆっくりと掴んだ。

「くっ?」ナンダナンダ

「ちひゃー、まずは降りてくれ。頭の上だと何もできん」

「くっ、くっ」ピョーン

聞いて、自分から飛び降りる。こういう言葉には素直に従うあたりが分かり易い。こいつの中ではこの後、美味しいパンを食べながら気持ちのいい天気の下でたっぷりブラッシングしてもらえるのだろう。



さて、始めるか。

予め運んでおいた包袋からサンドイッチと飲み物を取り出す。こいつの、最後の食事だ。
尤も、食べきることは叶わんだろうがな。

「くっ、くっ」オナカスイタ

「はいはい。これで良いか?」

サンドイッチの封を切りながら手渡す。受け取り、勢いよく食べ始めた。
食事を開始したちひゃーを横目に、しばし待つ。と言ってもせいぜいが数分。こいつが口休めに飲み物を欲しがるまで待つだけだ。

「くっ、くぅ!」ソレヲヨコセ

ほどなくその時は訪れた。サンドイッチを片手に、もう一方の手で俺の持つペットボトルを指差す。
食べ方が汚いにも程がある。ぼろぼろと食べかすをこぼしながら、口の周りはパンのカスや具材のソースでベトベトになっている。
まぁ、そうならないと飲み物なんて必要ないだろう。

俺はゆっくりとかがみながら、表情から真実を隠したまま明けやかな笑顔で言った。

「片手だと飲みにくいだろ、俺が飲ませてやるよ。な、ちひゃー?」

「くっ?くっ、くっ」フンス

何でそんなにお前は偉そうなんだよ。その顔はよきにはからえ、とでも言いたそうだった。

「それじゃあちひゃー、たっぷりと飲みな。たっぷりと、な!」

「くっ、ぐむ!?!?」

ちひゃーの頭をつかみ、サンドイッチでいっぱいの口腔に透明な液体が入ったビンを押し込む。
一瞬、驚いたちひゃーだが本番はここからだ。その程度で終わると思うなよ。
咀嚼されたパンの隙間から喉奥へと液体が流れ込む。そして、それをごくりと飲み込んだ瞬間に衝撃は訪れた。
口の中でこれでもかと頬張っていたサンドイッチを吹き出しながら、あらん限りの声で叫んだ。

「くっ!?くっ、くぅ!?くぎゃぁあああああああ!?!?」ノドイタイイイタイ!!

「どうだ、美味いか?なんたって、世界最高峰の飲み物だからな―――アルコールとしては」

瓶を上下逆さまのまま、喉奥まで押し込む。次第にビンの中身が重力に従って、順々にちひゃーの喉へと下ってゆく。
白地に緑色のラベルを見て、ほくそ笑む。手に入れるのにそれほど手間は掛からなかったが、酒屋の店員にくれぐれも火気厳禁と念を押された。

――――スピリタス。

ポーランドを原産とする、アルコール濃度数世界最高を誇るウオッカ。その濃度は95-96というとんでもない数字。通常は果物と漬け込んで果物酒を作り、それをさらに炭酸水などで割ってサワーとして飲むのが一般的らしい。
アメリカではこの酒が販売禁止されている州もさほど珍しいことではないそうだ。
このちひゃーの反応をみれば、頷ける。

「俺は食事しながら飲み物なくても平気だけど、ちひゃーは歌手を目指してるもんな!しっかり喉を鍛えないといけないから、わざわざ買ってきたんだ」

ビンの中身が空になったところで、手を離す。丸々一本を空けてしまったのだから、ちひゃーの五感はもうめちゃくちゃだろう。酔ったどころの騒ぎではない。普通の人間なら急性アルコール中毒で死んでいてもおかしくないレベルの筈だ。
しかしこいつらに人間の常識は通用しない。
そうだ、ちょっとどころじゃなくやりすぎても問題ない。むしろそれで丁度いいか、あるいはまだまだ足りない程度だ。

「ぁあああ――!!!くぎぎぃ、ゃああああ―!!!!くぐぉっおごごぉお――!!! 」

「おーいちひゃー、大丈夫か?まったく慌てて飲むからだ」

喉と胃の激痛でまともに呼吸ができず、悶えているちひゃー。
床の上に自ら撒き散らしたサンドイッチの上をごろんごろんと転がるものだから、人並みに与えてもらった服もすっかり薄汚れてしまった。
まぁ、お前らが人間並みの生活を送っているというのが俺には我慢ならんのだがな。

地べたを転がりまわるちひゃーを眺めること数分。激痛にいまだ苛まれながらも、暴れる体力を失ったのか動きを止めた。不規則ながらもか細い声が呼吸の継続を教える。
そうだ、生きていなければ意味がない。
お前への罰はまだまだ序の口だ。

続けて取り出したのは電動バリカン。散髪屋さんとかにある野球部員お馴染みの、アレだ。

「なぁちひゃー、お前の髪の毛はブラッシングするの一々手間だろ?だけど切っても直ぐに戻っちゃうよな?」

「く……ぅ、くぉ…」ゼィゼィ

使用に異常がないか確かめながら、ゆっくりとちひゃーに歩み寄る。当の本人は痛みとアルコールでそれどころではない。虚ろな眼差しが不気味に宙を見つめていた。

「じゃあ、ちょっとばかり荒療治だ。髪の毛の根元、毛根って言えば解るよな?それごとバリカンで刈ってしまえば、どうかな」

ごろん、とちひゃーをうつぶせになるよう転がす。自分がこれから何をされるのか解らないままだが、それに抗う体力も無い。為すがままだ。

頭頂部から、足元にまで伸びる髪をひと房まとめて掴んだ。
それにしても、もの凄い量だ。千早を窒息死させかけただけはある。そう思うとますます怒りがます。

やよもこの時期は大概に髪の毛が多い。効果があればあいつにも試すことにしよう。
早速、実証実験に移るとするか。

「それじゃあ行くぞ。動いたら危ないから、気をつけろよ」

「く……?くっ、く…」ハァハァ

頭頂部、うずまきの辺りにバリカンを当ててスイッチを入れる。髪の毛のボリュームに負けないよう、グッと力を込めた。
早速、スイッチオン。

ウィーン、ガリッガリ、ミシッ、ブチブチブチブチ……

「く――くっ!?く、くぎぃゃぁぁぁあああ―――!!!???」

おお、まだまだ元気な声がでるじゃないか。

絶叫とともにちひゃーの頭部から鮮血がにじむ。しかしまだまだここからだ。
ちぎれ飛ぶように散り散りになる髪の毛を払い、次の房を手にとった。

「どうだちひゃー。頭皮のマッサージにもなって気持ちいいだろう?」

当初の約束としてはブラッシングだったんだが、これはこれで実益が伴っているので問題ないだろう。約束を違えてしまったが、そこは勘弁してもらおう。
頭の一部が見事に禿げ上がった。うむ、これはやはり見栄えが悪いと見直し、再び頭部にバリカンを当てる。即座にスイッチオン。

「くぅ、くぎいぃゃぁぁあああああ―――!!??」

全くもって煩い限りだ。
元気があまって結構だが、それはやはり他人に迷惑にならないことが前提だろう。まぁこいつらにそんなことを期待しても無駄だろうが。

――――それから。

「おーい、大丈夫か。いやぁ、ちょっと張り切りすぎたな。すまんすまん」

無論これっぽっちもちひゃーの心配などしていない。するわけがない。一応、息があることだけは確認する。ここで終わりだと消化不良も甚だしいというのもあるだが、はっきり言って近寄りたくない。
衣服は自分の嘔吐物や残飯、地面の汚れなどにまみれ、血まみれの頭部は辛うじて髪の毛が残っている程度。かつての面影など欠片ほどしかなく、一時間にも満たないこの時間で、ただただ醜悪な外見へと変貌していた。
見る者が見れば、悲鳴を上げるかもしれない。平家の落ち武者、と言っても通じるだろう。

「く、くぅ…」

高濃度のアルコールの直撃を受け、あれだけの長時間叫び続けた事で損傷著しい喉から辛うじて声を搾り出すちひゃー。
うん、やっぱりお前らは化物だよ。これだけの事をされてもまだ生きてるなんてな。しかし思った以上に時間がかかった。そろそろ区切りをつけないと後に響く。

包袋から二本目のスピリタスを取り出し、ちひゃーに向き直る。倒れ込んでいる目の前にわざとらしく置くと、これ以上ない反応が帰ってきた。

「ちょっと疲れたな。休憩にするか、ちひゃーはもちろんこれだよな?」

「くっ、くっ…く、くぅ~~~!」ジタバタ

何という回復力。血まみれの頭ははっきりいって手遅れだろうが、喉の痛みはもうピークを過ぎたのか。ちひゃーはあらん限りの力で短い手足をばたつかせながら、その場から少しでも遠ざかろうと動き始めた。
しかしここにきて面白いものが見れた。それは恐怖だ。ぷちどるたちは自身にデメリットのあることは極力忌避し、そもそも自分が愉快であることにしか興味がない。
そんな存在が、極限状態に追い込まれた状態でようやく見せる感情というのは極めてレアだ。胸が躍るとはこのことか。

わくわくする、遠足の前日に眠れないあの興奮を覚えるような感覚だ。
芋虫のように這い回るちひゃーを踏みつける。無論、全力で。

「Σくぎぃ!?」

「おいおいちひゃー、どこに行くんだ?言ったろ、”存分に相手してやる”ってな」

骨の軋むような、鈍い音。人体から発せられれば、それは深刻な事態と言っていいだろう。
だが心配はない。眼下で横たわり、無様に足掻くこいつらに、そんな心配するだけ無駄だ。心を配ると書いて心配―――と読むような、そんな配慮をかけるべき相手ではない。

若干一時間で随分と開き直れたもんだ、と我ながらに思う。
振り返れば、昨日の時点で自分自身のタガが外れたのだろう。
今までこいつらにどれだけの事をされていたのかと、後悔するだけの我慢が、もう限界だったのは。

「今だから言うけどさ、やっぱりお前たちは生きてちゃいけないよ。この国に、この世界には」

「く、ぎゃぁぁ!!」ミシッミシ…

成人男性の全体重が片方の足だけに乗ることになればどうなるか。
人間が行う無手の攻撃で金的に勝る手段はないが、次点をつけるとすればそれは踵による踏みつけらしい。
単純にして硬い。遠心力を振り付け、重力と筋力が合致したかかと落としという攻撃の威力は皆も知るところだろう。

打撃としてではなく足で長い時間踏みつけられるという攻撃は、非常に地味だが想像以上にえげつない。

「なぁ、どうしてなんだ?どうして何度も何度も注意したのに止めてくれなかったんだ?なぁ、ちひゃー」

「くごぉぉ、くぎぃ!!」ピシ、ピキ…

「なぁ、答えてくれよ。答えてくれよ――――答えろよ、ええ?この”化物”が」


途端、足元に踏みしめていた感覚が緩く崩れるのが解り、
同時に枯れ木が折れたような、鈍い音が聞こえた。

くぎぃ、ぎぃゃやぁぁぁああああ―――――!!!!!!!!!!!

冷たく流れる晴天の空に、小さなケダモノの悲鳴が響いた。
その身悶える様は先のスピリタス一気飲みよりもさらに激しく、これまでの比ではない。ダムが決壊したかのように涙を撒き散らし、限界などとうに過ぎ果ててもなお叫び続けるその声は亡者の怨念のようにも聞こえる。
痛む様から背骨ではなく、右肩の肩甲骨あたりの骨が大元から砕けたようだった。左腕が、届かないながらも右の肩を抑えていた。
すとん、と地面に踏み直る。なんだ、思っていたより脆いじゃないか。

ちひゃーから骨が砕けた音を聞いて、自分の中でも何かが音を立てて崩れたような―――そんな気がする。

叫び悶えるちひゃーを再び踏みつけた。今度は先ほどよりも力を入れない。あくまでも、その場に抑えつけるためだけに。
眼前に掲げる無色透明の瓶。もうこいつにもこの中身が何であるのかは身を以て知っている。

「さて、もう一本いっとこうか。これはお前専用だから、そんな遠慮なんてしなくても良いんだ」

「く、くぅ!くぅ~~!!くぅ~~;;」ヤメテヤメテ

鬼気迫る叫び声を上げていたかと思えば今度は泣き落としか。鬼の目にも涙というが、あれだけの悪行三昧を好き勝手していたヤツからも涙が出るというから可笑しい。
踏みつけていた足のつま先で腹を蹴り、転がす。仰向けの態勢になったそこで、腹を抑る。

淡々と抑揚のない、感情のこもらない声で尋ねた。

「止めてくれ、俺がそう繰り返した所でお前は何をした?」

事務所の惨状が頭をよぎる。仕事の邪魔だと、何度ともなく頭の上から払い落とした。その度にこいつらは仕返しとばかりに足に噛み付いたり、事務所の中を暴れまわって散らかす。
そんな事をしていた相手にどうして慈悲をかけられるものか。

右腕に力を込め、ちひゃーの顔を固定する。しかし、それこそこの化物の生き汚いところ。涙を湛えた目元はそのままに、口を固くなに閉じて殺気じみた瞳で睨んでいる。
あの泣き声も演技だったのか、と呆れる。まぁ、この際どっちでも良いんだけどな。

左手に掴んでいるスピリタスの瓶をちひゃーの腹に叩き込む。途端、激痛が空気の行き場を求めて口腔を飛び出した。その瞬間を見逃さない。

「ぐひゃ!く、ごっ…ごぴゅぅ!?」

「心配するな、殺しなんてしないよ。さっきも大丈夫だったろう?」

「……!~~~!!!!」ガタガタ…

瓶を喉に押し込まれ、掛けられる言葉に必死に首を振るちひゃー。いやだやめろたすけてくれしにたくない。何を言ってるのかは解らないが、何を言いたいのかはよく解る。
見下ろしたちひゃーの顔は蒼白し、絶望しか伺えない。これから何が起きて、どうなるのかがはっきりと解っている顔だ。先ほど嫌というほど身を以て経験した、激痛の地獄だ。
段々と中身のすくなってゆく透明の瓶。それらはすべてちひゃーの喉奥を経由し、その内臓を侵食する。

どれほどもなく、ちひゃーの顔から表情が消えた。味覚があの味を、かつて経験した最も刺激の強いあの味覚信号を捉えてしまったのだろう。

瞬間、


「く、くぅぅ――!!くぅぅううう~~~~~~~!!!!!!ぐぎゃ、がぁぁあああああああ―――――!!!」

「うわっ、汚ねっ」

何度目ともしれぬ、ケダモノの悲鳴。爆ぜるようにして瓶を吐き出し、その場にのたうちまわる。
この光景を見るのも二度目だが、ようやく救われたような気がした。望遠にちひゃーを見つめるように、少し離れてタバコに火をつけた。紫煙の匂いが、どこか懐かしかった。

よく格闘家やプロレスラーなんかが、痛みは堪えられるとか、我慢できるとか言うが結局のところアレは慣れだ。
甘口のカレーしか食べない人間が辛口のカレーを食べれば想像以上に辛く感じるのは当たり前だろう。逆もまたしかりだが、好みの問題ということでそもそも辛いカレーを好む人もいるだろう。

だが、スピリタスの刺激に慣れるというのは並大抵に出来ることではない。未だこれをストレートで飲むことを禁止している国さえある。命の保証が出来かねる―――どころか、確実に死ぬ。

右肩が砕けている状態で転がれば痛みが増す事を理解しているのか、それともそんな体力も既に残されていないのか。ちひゃーは擬音の混じったダミ声で叫び声を上げては咳き込むを繰り返している。
やがてちひゃーが口から血を吐いているのを見て、潮時かと向き直る。タバコの火を靴裏でもみ消しながら、次の準備にかかる。

二本の支柱に支えられ、地面から数メートルの位置で水平に掛けられている竿竹。洗濯物を干すハンガー等をを引っ掛けておく日用品だ。
竿竹がしっかり固定されている事を確認し、その真ん中に洗濯バサミを取り付ける。何度か引っ張ってみるが、強度にも問題はない。確かめて、咳き込みながら血反吐を吐いているちひゃーへと歩み寄った。

「自分で存分に相手してやる、なんて言っておいて情けないんだけどな」

そう言ってちひゃーを猫つかみして持ち上げる。もう抵抗する気力も体力もないようで、肢体をうなだれている。
こちらの言葉は辛うじて聞こえているようで、辛うじて反応しているのが解る。

「くぅ、く、くぅ…」

「ほかにも色々してやりたい事もあるんだが、もう時間がない。これで最後にするとしよう」

歩きながらちひゃーの胴体に紐を何度か巻きつける。決して首には巻かない。これで死んでは興ざめだ。
竹竿にまでたどり着き、そのままちひゃーの体に巻きつけてある紐を洗濯バサミで挟み、ぶら下げる。これで準備は完了だ。

中身が空になったスピリタスの瓶を二本、手に取った。思ったより小さいな、と手元でくるくると回してみた。うん、軽くて長さも丁度良い。
ズタボロの洗濯物のようにぶら下がるちひゃーの足元には、黒い染みのようにぽつぽつと血が落ちている。無残な頭といい、ますます落ち武者じみている。

「心配しなくても直ぐににぎやかになるさ。お前は最初で、いわゆる景気づけなんだからな」

片手で瓶を軽く前後に振ってみる。もう一本を足元に置き、ちひゃーにもう一歩近づいた。
向かって左半身。解りやすく例えると野球で言う、右バッターの構えだ。
何度か足元を踏みしめ、確かめる。力を込めて、足場を踏み揃える。

最後にはならないが、ひと時の幕間のように告げた。

「それじゃあちひゃー、少し眠ってろ。なに、目が覚めた頃にはまた相手をしてやるさ」

「くぅ、くっ!くぅううう―――!!!!」

左足をあげ、ステップイン。
全身の関節を稼働させ、足元から運動エネルギーを螺旋状に引き上げてゆく。

ガラス瓶が全身全霊の力を込められ、振り抜かれる。フルスイングしたインパクトの瞬間、芯を食った衝撃が手に伝わり、瓶が砕け散った。


「くぎぃやあああああああああああああああああああ―――――!!!!!!」


大きな金属の炸裂音と、小さな化物の悲鳴が屋上に、虚しくも空ろに響いた。


 ちひゃー編 了


  • 最終更新:2014-02-20 15:03:21

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