金髪毛虫あふぅ(仮)

あふぅは自由奔放で、本能のまま好き勝手に生きる生物だ。
おにぎりを目にすれば、それが他人の物だろうと食らい付く。
鬱憤が溜まると事務所を荒らし、ゆきぽをいじめ、叱られても嘘泣きで誤魔化す。
自分を中心に世界が回っていないと気が済まない生き物だった。
しかし時にその性格は本人への仇となってしまう――――。



「ナノ…ナノ…」

事務所に置かれている段ボールの中で、いつものようにあふぅは寝ていた。

「ぽえっぽえっ」

「くっ、くっ」

「……ナノ?」

近くではゆきぽとちひゃーが楽しく会話をしていた。

「ナノっ!」

その声で目が覚めたあふぅは、段ボールから飛び出て二匹の話しに加わる。
あふぅは基本機嫌が良ければゆきぽをいじめたり、ちひゃーとケンカをする事はなかった。

「ナノナーノ?」

「くっくっ!」

「ぽえっ」

ゆきぽとちひゃーの話しを聞くあふぅ。
ゆきぽとちひゃーはプロデューサーにドライブへ連れていってもらった話しをした。
二匹はそれがとても楽しかったようで、聞いているあふぅは体験した事のないドライブに思いを馳せた。
自分もドライブに行きたい!あふぅの頭にすぐさま浮かんだのはこれだった。

思い立ったらすぐ行動に移すのがあふぅの特徴だ。
すぐさまプロデューサーの下へ移動するあふぅ。

「ナノっナーノ」

「なんだあふぅ?急にこっち来て」

仕事をしているプロデューサーにドライブへ連れてけとあふぅは要求した。
しかし当然ながら、人間にぷちどるの言葉を理解する事は出来ない。

「ご飯ならさっき食べただろ?お昼まで待ちなさい」

あふぅがおにぎりを欲しがっていると思ってしまったようだ。

「ナノー!ナノっ!ナノっ!」

勘が働かないプロデューサーにあふぅはイラついた。堪忍袋がないあふぅは、怒りをあたりに撒き散らす。
事務所の書類や備品が散らかっていく。

「コラあふぅ、おにぎりが貰えないからって暴れちゃダメだろ」

「仕方ないな、ほら」

堪り兼ねたプロデューサーはおにぎりをあふぅに向かって放った。

「ナノォ~♪」

あふぅはすかさずおにぎりに飛び付いた。
おにぎりを与えればあふぅは落ち着く、事務所では周知の事実だった。

「ナノ♪ナノ~♪」

大好きなおにぎりを頬一杯に頬張るあふぅ。

「こうしてるぶんにはかわいいんだけどなぁ」

プロデューサーは散らばった書類を片付けはじめた。

おにぎりを食べ終えたあふぅは、自分が何をしようとしていたのか忘れていた。
おにぎりを食べると、嬉しさの余り大抵の事は忘れてしまうのだ。

「さて、アイドルを迎えに行かないと」

「車出さなきゃな」

「ナノっ…!」

車という言葉を聞きあふぅはドライブへ行く事を思い出した。
車の鍵を持ち出し、事務所を出ようとするプロデューサーの肩にあふぅが飛び乗る。

「?なんだ、お前も行きたいのか?」

「ナノ♪」

とびきりの媚びをふる。
何かしら強請る時、こうすれば大抵の人間は言う事を聞くとあふぅはわかっていた。
しかし、プロデューサーはあふぅを肩から降ろした。

「ごめんなあふぅ、車の運転は危ないから連れていけないよ」

そういうと彼は出かけてしまった。
ぽつんと取り残されるあふぅ。

「ナ…ナノ…」

あふぅの肩は震えていた、怒りからだ。
トロいゆきぽや自分よりスタイルの悪いちひゃーはドライブへ連れていくのに、
何故一番可愛い自分を連れていかないのか。
もう一度事務所を荒らすと、あふぅはプロデューサーの後を追った。

「流石に春でも日が当たると暑いな、窓開けていくか」

プロデューサーは車に乗っり丁度発車する所だった。

「ナノっ!」

追い付いたあふぅは開いた窓から気付かれないように入り込む。
車は道路へと走りだした。

プロデューサーは車を運転しながら鼻歌を歌っていた。
あふぅは自分の存在も知らず呑気にしている彼を見て声に出さないよう笑った。
道はそれ程混んでおらず、一定のスピードで走れていた。
窓から入る心地よい風があふぅの頬を撫でる。
あふぅはこの風をもっと受けたいと思った。

「…ナノっ♪」

たまらず隠れていた事も忘れ助手席の窓から身を乗り出すあふぅ。
呑気していたプロデューサーも、流石にあふぅの存在に気付いた。

「なっ…あふぅ!?」

「ナノ♪」

プロデューサーは面食らった顔になる、置いてきたはずのあふぅが車内にいるのだから当然だった。

「馬鹿、あふぅ!そんな身を乗り出したら危険だ!」

プロデューサーは心配しあふぅに手を伸ばそうとした、助けようとしたのだ。
しかしあふぅは逆に、自分を取り押さえて車から降ろす気なねだと思った。

「ナノっ!」

プロデューサーの手から逃れる為、更に窓へ乗り出す。
むしろ外からこちらを見ているくらいに、あふぅの身体は窓から出ていた。

「駄目だあふぅ!こっちに来い!」

彼は本心からあふぅを助けようとしていた、しかし自分以外を下に見るあふぅにそれは通じない。

「ナーノナノナノ♪」

それどころかゲラゲラとプロデューサーを嘲笑しだした、鬼ごっこの鬼から逃げる子のように。
これがあふぅ自身に返ってくる仇の始まりだった。
一瞬風が強くなったのか、それともあふぅの手が滑ったのかはわからない。

「…ナノっ!?」

しかし気付くと、あふぅは車から投げ出されていた。

「ナノオォォォ!?」

車から投げ出されたあふぅは、大きな悲鳴を上げた。
しかしこれは序の口に過ぎない。
飛んでいくあふぅをまっていたかのように車が走ってきていた。

「びゃっ!?」

べちゃっ、と汚い音を立てるあふぅ。
勢いそのままにフロントガラスへ身体を叩きつけられたのだ。

「にゃのぉっ―――!?」

そこから身体は跳ね飛び、弧を描くように地面へ叩きつけられた。

「ナ゛っ!あぶっ!に゛ゃっ!」

何度がバウンドを繰り返すと、ようやく地面に着地する。

「…あふっ…あふっ」

アスファルトに何度も身体を擦り付けたあふぅは、血だらけになっていた。
まともに立つことも出来ず、地に伏せ、嗚咽を洩らすことしか出来ない。
しかしこれだけでは終わらなかった。

「…!?ナノ…っ!?」

向かい側から車が走ってきている、あふぅには気付いていないようだ。
このままでは潰されてしまうだろう。

「あふっ…、あふぅぅぅぅぅぅ!」

満身創痍の身体に鞭を打ち、必死に車線上から逃れようとあふぅはもがいた、
地を這う毛虫のように。

「ナ…ノぉ…!」

そしてあふぅはなんとか車線上から脱出した。


かに見えた。

「あふっ」

あふぅの身体が一瞬脈打つ。
そろと同時にぷちっと言う音がなった、
あふぅはその音がした方に目を向ける。
数十センチ離れた場所に肌色に赤色がこびりついた物が落ちていた。

「…ナノっ…ナノナノっ」

あふぅはそれがなんなのかわかった、同時に激痛が身体を走った。

それはあふぅの左腕だった

あふぅの左腕から先が取れているのだ。

「ナ゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」

耳障りな悲鳴が道路に広がった。

その後あふぅが目覚めたのは事務所の段ボールの上だった。
左腕には動物病院で処置さるたであろう包帯が巻かれていた、腕から先の感覚は全くなかった。
当然だ、車にちぎり、潰されてしまったのだから。
だがそんな事すらもあふぅにはわからない。
ただ左腕が痛むなぁくらいにしか頭が働かないのだ。
次にはおにぎりが食べたいとしか頭には浮かばなかった、あふぅらしいポジティブさであった。

「あふぅー?おにぎりだぞー」

「!…ナノっ♪」

プロデューサーが持ってきたおにぎりに飛び付くあふぅ。
片腕が無くとも、後ろの二本足で立つことが出来、右腕でおにぎりを持つこともできた。

「あふっ♪ナノぉ♪」

おにぎりを食べ終えると、左腕の悩みなどさっぱり消えてしまった。
あふぅは元通りだった。
下等生物にとって、片腕がない事など大した事ではなかったのだろう。
後悔どころか、車に挽かれた事すら忘れてしまったのだろう。
これからもあふぅはいつも通り生きてゆくのだろう。



「ナーノナノナノ!」

事務所にあふぅの笑い声が広がっていた、相手を馬鹿にする笑いだった。

「ぷぃー、ぷぃー」

その相手はゆきぽ、笑顔のあふぅに対してゆきぽは泣き顔だ。
いつものように、あふぅが憂さ晴らしにゆきぽをいじめているのだった。
よく見るとあふぅの左腕は無かった。
何故左腕が無いのか、それはあふぅ本人にもわからなかった。
むしろあふぅにとってはどうでもよい事なのだろう。
しかし片腕であってもゆきぽとの力関係は変わらなかった。

「こら、駄目だろーゆきぽいじめたら」

「ナーノ」

プロデューサーが止めに入る。
しかしあふぅはそんなの知った事かと逃げてしまった。
プロデューサーは仕方なく泣きじゃくるゆきぽを慰める。
ゆきぽはつらい目に遭うと穴を掘って落ち着こうとする。
事務所で穴を掘られては堪らないので、それを防ぐ為だ。

「ぷぃー、ぷぃー」

しかしゆきぽはスコップを手放そうとしなかった。

「うーん、よし!」

閃いたプロデューサーはゆきぽを抱き上げた、小首を傾げるゆきぽ。

「公園に行くか!あそこなら好きなだけ穴掘っていいぞ!」

「…ぽえっ!」

ゆきぽは泣き止んだようだった。

「アイスでも帰りに買って食べような」

「ナノっ…!?」

これを聞き逃すあふぅでは無かった。

あふぅはアイスを過去に一度食べた事があった。
今でもその味を覚えており、また食べたいと思った。
ついでに公園でも遊べるし、着いていこうと思った。

「ナノー♪」

あふぅはプロデューサーの頭に飛び乗る。

「なんだ、お前も公園で遊びたいのか?」

「ナノナノ♪」

「そうか、ゆきぽと仲良くしろよ?」

「ナノ♪」

あふぅはおにぎりを貰う時のような笑顔をしていた、媚びを売っているのだ。
今のうちにいい顔をしておけば、アイスをもう一本多く貰えるかもしれない。
ついでにゆきぽからも一本貰えば三本食べれる。
頭ではそんな感じに考えていた。
プロデューサー達は公園へと向かった。

「勝手にどっかへは行かない事、わかったか?」

「ナノ!」「ぽえっ!」

公園に着くと、ゆきぽは砂場で穴を掘りはじめた。
プロデューサーはベンチに座ってそれを眺め、あふぅは公園の遊具で遊んでいた。
しかし次第に飽きてきたあふぅは、プロデューサー達から離れ公園の外をぶらつきはじめた。
プロデューサーの言い付けは遊んでいる内に忘れてしまったのだろう。

「よーし、そろそろ帰るか」

「ぽえ~!」

公園についてから一時間程が過ぎていた。
ゆきぽの機嫌はすっかりよくなっていた。
しかしプロデューサーとゆきぽはあふぅがいない事に気付く。
お互いあふぅを捜すが、見つからなかった

「もしかしたら一人で帰ってるのかもな」

「アイス買って帰るか」

「ぽえ♪」

プロデューサーはゆきぽを抱え、帰路に着いた。

「…ナノ?」

空は茜色に染まっていた、夕方だ。
気が付くとあふぅは裏路地をうろついていた。
路地には野良猫が沢山いて、あふぅを見て警戒している。

「ナノ!」

生意気な奴らだとあふぅは思った。
一触即発の雰囲気…かに見えたが、あふぅは野良猫達とすぐ仲良くなった。
もしかしたら片腕のあふぅを見て可哀想に思ったのかもしれない。
一方あふぅは猫達が自分にひれ伏したと思っていた。
じゃれあっている内に、日は暮れてしまっていた。

「ナノ…?」

空腹でお腹が鳴る、その音であふぅは目を覚ました。
どうやら遊んでるうちに寝てしまっていたようだ。
あふぅはそろそろおにぎりを食べたいと思いはじめていた。
さっきまでいた野良猫達もいつの間にか姿を消していた。
しかしそれと入れ替わるかのように、あふぅを取り囲むように小学生低学年程の子供達がいた。

この少年達はよく野良猫や鳩など、小動物をいじめるいたずらっ子だ。
あふぅの周りにいた猫は、自分たちが標的になる前に逃げたのだった。
呑気に寝ているあふぅを放って。

「ナノ!」

自分を見下ろす視線にムカついたあふぅは威嚇した。
少年達は奇異の目であふぅを見ていた、こんな生き物はじめて見るといった顔だった。

「…ナノ!」

あふぅは少年達の輪から出ようと歩を進めた。
勘弁してやると思っていた。
しかし。

「ナっ!?」

あふぅの身体が宙に浮く、、一人の少年があふぅのアホ毛を掴み持ち上げたのだ。

「ナっ…ナノー!?」

あふぅは憤慨した。
見逃してやったのにと叫び手足をばたつかせた。
ぶらぶらとミノムシのように揺れるあふぅ、少年達はその様子を笑いながら見ていた。
少年の一人があふぅの左腕が無い事に気付く。
面白そうにあふぅの左腕があった所を突いた。

「ナっ…ナっ…」

突く度に変な鳴き声をあげるあふぅ、それが面白くて少年達は更に突いた。
あふぅの怒りは頂点に達した。

「ナノーっ!!」

がぶり、あふぅは少年の指に噛み付いた。
痛みで指を引っ込めようとするが、あふぅは食い付いた指を離そうとしない。

「ナノ…ナノ…」

あふぅはぎりぎりと歯を食い込ませた。
噛まれている少年は泣きだしていた、あふぅは少し気分が良くなった。
そこへあふぅの腹に足がめり込んだ。

「びゃっ!?」

思わず口から少年の指を離してしまう。
少年の指からは血が出ていた。
少年達は恐怖した、しかしそれと同時に怒りも湧いた。
勝ったのは怒りだった。

「に゛ゃの゛っ!?」

地面に叩きつけられ、周りの少年から次々に足が飛んできた。
サッカーでボールを奪い合うかのように蹴りあっていた。
勿論ボールはあふぅだった、蹴られる度悲鳴が上がる。

「ナ゛っ!ノっ!?びゃっ!あ゛ふっ!!」

「あふぅ…あふっ…」

そこにはボロ雑巾が出来上がっていた、黄ばんだボロボロの雑巾、あふぅだ。
息をするのがやっとといった様子だった。
だが少年達の怒りは治まらない。
今まで小動物を殺した事はなかったが、あふぅに対してはその気であった。

少年の一人が案を出した。
こいつの残りの足も左腕のようにしてしまおうと。

「あふっ…ナノ!?」

それを聞いたあふぅは始めて命の危機を感じた。
正確には以前一度あるのだが、忘れてしまったので仕方ない。

「あふぅぅぅ、あふぅぅぅぅぅっ!」

あふぅは地を這いずりながらも懸命に逃げようとした。
しかしここでようやくあふぅは気付く、自分の左腕が無いことに。
右腕だけではまったく前進する事が出来なかった。
どうしよう、どうしようとあふぅはもがいた。

「ナノぉっ~」

口から助けを乞う声が漏れる、情けない声だった。
しかし少年達にあふぅの言葉がわかるわけもなく。
アホ毛を掴まれ、再び宙に浮かされた。
あふぅの身体から血が滴り落ちる。

「ナー、ナぁ~~」

泣き声。
あふぅは泣いていた、同情を誘う為の嘘泣きだ。
こんな可愛い自分をいじめるのか?と言わんばかりの泣き声だった。
そんなの知った事かとアホ毛を掴んだ少年とは別に、もう一人があふぅの両足を掴んだ。

「…っ!?あふっ?ナノナノっ!?」

泣き落としが聞かない。
あふぅは絶望した。
さっきまでの嘘泣きではない、本当の涙があふぅの頬を伝った。

時に子供は残酷な事を考える。
子供達はあふぅの残された足を無くす為にある道具を持ってきた。
自転車だ。
後輪のストッパーを降ろし、後輪を宙に固定する。
少年の一人が自転車にまたがり漕ぎだす。
あっという間に車輪はものすごいスピードで回りはじめた。
後はこの車輪にあふぅの足を突っ込むだけであった。
準備を見ていたあふぅは、自分がこれからどうなるのか悟った。
少年達があふぅを掴み上げ回転する車輪まで連れ来た。
徐々ににあふぅの右足が車輪に近づいていく。

「びゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

耳をつんざくばかりの泣き声が轟いた。
恐怖のあまりあふぅは本当に泣き出してしまったのだ。
元々あふぅが噛み付かなければ少年達もこのような事はしなかっただろう。
そもそもプロデューサーの言い付けを破らなければ今頃事務所でアイスとおにぎりをご馳走されていたのだ。
全ては傲慢なあふぅの自業自得であった。

「びゃっ!?あ゛ふっ!?」

不快な悲鳴を消す為、少年の一人があふぅの顔面に拳を何度かめり込ませた。
口から血を垂らしてあふぅは少し静かになった。
気を失ったのかもしれない。
しかし次のこれで目を覚ます事になる。
少年はあふぅの右足を車輪に突っ込んだ。
ミキサーに切り刻まれた野菜のように、あふぅの右足は刻まれ始めた。

「!?ナ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ……!?!!」

血飛沫が上がる、赤い霧のようにあふぅの血が宙を舞った。
気が狂ったように悲鳴を上げた後、あふぅは気を失った。

あふぅは目を覚ました、事務所の段ボールの上だった。
顔はまだ腫れており、片目はたんこぶで塞がっていた。

「ナ…ノ?」

あふぅは自分に何があったのか覚えていなかった。
痛みのショックからか、恐怖からかはわかならい。
右足は左腕と同じく包帯を巻かれていた、感覚も無かった。
あの後気を失ったあふぅ。
少年達はあふぅが死んでしまったのかと思ってあふぅを路地に放置したのだ。
その後いつまで経っても帰ってこないあふぅを心配したプロデューサーが見つけ、また動物病院のお世話になったのだ。
だがそんな事下等生物のあふぅに理解できるわけもなく。

「ナノ!」

あふぅはいつものように段ボールから飛び降りた。
右足は無いが、左足で立つ事は出来た。
不恰好だが、四足歩行のような形で、右腕と左足を使えば、歩く事もできた。

「あふぅーご飯だぞー」

「ナノぉ♪」

おにぎりを持ってきたプロデューサーに飛び付く。
片足でも瞬発力は健在だった。

「ナノ♪あふぅ♪」

おにぎりを頬張るあふぅは幸せそうだった。
ひどい目にあった事もこれでまた忘れてしまうのだろう。
またいつものように好き勝手するのだろう。
それがあふぅという生き物なのだろう。



あふぅの左腕と右足が無くなってから月日が経ち、季節は夏になった。
夏になるとあふぅは毛が黄色から茶へと生え変わり、発情期へと移る。

「はにぃ~♪」

「わっ!あふぅ、顔くっつくなって」

あふぅは一本だけの足で跳躍し、プロデューサーの顔に擦りつきはじめた。
一種のマーキングなのかもしれない。
このようにあふぅは他種であるはずの人間の男性に盛るのだ。
この間は今までのように暴れ回る事は無くなり、大人しくなる。
しかし顔に動物臭い身体をこすりつけられる人間はたまったものではないだろう。

「まったく、今仕事中なんだから、離れてくれあふぅ」

「や!はにっ!はにぃ~!」

プロデューサーは顔からあふぅを引き剥がす。
以前までは離すのにかなり手間がかかったが、あふぅの四肢が二本減った今、それは容易であった。
彼に掴まれ宙に浮いているあふぅは、残った右腕と左足を懸命にばたつかせている。
目は涙で潤み、今にも泣き出しそうだった。

「まったく、仕様がないな、頭で勘弁してくれよ」

「はにぃ♪」

涙目に怯んだプロデューサーは、妥協点として頭にあふぅを乗せた。
あふぅもそれで納得したのかまた身体を擦り付けはじめる。
今彼らは、765プロのライブ会場控え室にいた。

今日は765プロのライブ当日である。
本来ならぷち達を会場に連れてくる事はないのだが、この時期のあふぅだけは別であった。
何故なら近くに異性がいないと騒ぎ、暴れだすのだ。
その上今は二本しか足が無い、下手に暴れて怪我をしてしまっても危ない、
そういった理由で、今日はあふぅだけプロデューサーが付き添って連れてきた。
足を2つ失ってからのあふぅは、あまり表へ連れ出せなくなっていた。
危ないという建前の、世間体が理由だろう。

「はにぃはにぃ♪」

そんな事知る風もなく、あふぅはマーキングを繰り返している。
今朝からプロデューサーの至るところへ身体を擦りつけている為、彼の身体中あふぅの匂いがするだろう。
しかしプロデューサーは、発情期のあふぅを可愛いと思っていたし、普段のあふぅよりも好きになれた。
だからそれほどストレスには感じていなかった。

「さ、お昼にしようか」

「ナノっ!」

プロデューサーはおにぎりを取り出した。
あふぅはすかさず頭から飛び降り、プロデューサーの手からおにぎりを奪った。
発情期であっても、異性よりおにぎりの方が優先順位が上であった。
おにぎりを奪ったあふぅは床に着地する。

「あふっ?ナノノ…っ」

しかし一本足ではバランスがとりずらいのか、よろけてしまい。

「ぶびゃっ!」

転んでしまった。
しかも大好きなおにぎりをクッションにして潰してしまった。
一本しかない腕では自由が聞かなかったようだ。

「…ナー…」

潰れたおにぎりを見てあふぅは涙目になってしまった、かわいそうに。
心配したプロデューサーはあふぅを起こしてあげた。

「ほら、今度は落とすなよ?」

変わりのおにぎりを与えて慰め、潰れたおにぎりを掃除した。
あふぅは右手だけ使って器用におにぎりを食べはじめる。

「ナノぉ~♪」

おにぎりの後始末をしてくれているプロデューサーなど知った事ではないらしい。
発情期であっても勝手なところはそのままであった。
後片付けが済んだくらいに、控え室のドアがノックされる。
係員がプロデューサーを呼びにきたようだ。

「はい!今行きます!」

どうやら仕事らしい。

「はにぃ~♪」

しかしあふぅは気にも止めずプロデューサーの身体に抱きつき、ご飯つぶがついた口を拭きもせず擦り浸けていた。
プロデューサーはそんなあふぅを手に取り、控え室の机に置く。

「はにぃ?」

「ごめんなあふぅ?仕事だから、少しの間じっとしててくれ」

「やーぁ!はにぃ~!」

プロデューサーの言い分を聞かず、駄々をこねるあふぅ。
困ったプロデューサーは、予備のおにぎり数個をあふぅの前に置いた。

「ナノ!ナノぉ~~っ♪」
するとプロデューサーには目も暮れずおにぎりに飛び付いた。
誰が見ても節操のない生き物だと思うだろう。

「ナノ、あふっ、ナノ~♪」

「ごめんな、あふぅ」

あふぅはおにぎりを頬一杯に詰め込むのに夢中だった、その間にプロデューサーは控え室を後にした。

「ナノーっ」

げっぷをひとつ。
どうやらいくつもあったおにぎりをあっという間に食べきってしまったようだ。
食い意地と役の立たなさならば、ぷちの中でも上位だろう。
そしておにぎりを食べて幸せ一杯のあふぅは、プロデューサーの事などすっかり忘れていた。
だがそれは少しの間だった。

「…ナノ?」

普段のあふぅならこの後またお腹が空くまで惰眠を貪るのだろう。

「…はに」

しかしあふぅは発情期だった。

「はにぃ…」

一匹だという事に気付くと、途端に異性の人肌が恋しくなってきた。

「ヤ!はにぃ!はにっ、はにぃ~~!」

さっきまでプロデューサーがいた空間に向かって泣きながら鳴き始めた。
駄々っ子のように手足をばたつかせている、二本しかない手足を。
こうなったあふぅは身近な異性を見つけるまで手が付けられない。
本能のままに求め探しはじめる。

「はにぃぃぃぃぃぃ~~~~~っ!」

ロケットのように机から発射し控え室の扉をこじ開けた。
通路を歩いていたスタッフ達は驚いた。
得体の知れない二本足の生き物が涙を浮かべて出てきたのだ、無理もなかった。
あふぅは臭いでプロデューサーを探しはじめた。
しかしその臭いはスタッフ達からもした、当然だった。
プロデューサーは仕事柄スタッフ全員と接触していたのだから。

「はぁぁぁにぃぃぃっ!」

あふぅは涙を撒き散らし不気味に右腕と左足をバタバタさせながら臭いのするスタッフ達に走りだした。

スタッフの一人の顔へあふぅがダイビングした。

「はにぃはにぃぃぃぃっ」
あふぅは腰を擦り付けた。
スタッフは虫酸が走った事だろう。
人は蚊や蝿が耳元を通過すると不快になる事が多い。
スタッフはそれに近い反応をした。

「びゃっ!?」

手であふぅを叩き落としたのだ。
床に落ちる小蝿、もといあふぅ。

「は…はにっ!?」

ようやくこのスタッフがプロデューサーではない事に気付く。
けれど彼の臭いはいたる人間から感じた。
しかしあふぅにそんな状況を冷静に判断する、働く頭など始めから持ち合わせていなかった。
そんなあふぅの単純な思考は次の答えを導き出した。虱潰しだと。

「はにぃぃぃぃぃぃ!」

ぴょーん、と倒れた姿勢から立ち直ると、すぐさま次の臭いがするスタッフへ突撃した。
スタッフ側からすれば気味が悪い事この上無かっただろう。
当然スタッフ側の対応も決まっていた。

「はにゃぶげっ!?」

あふぅは再び叩き落とされる、左腕と右足が無いため、ろくに受け身も取れず墜落する。

「は……にぃぃぃぃぃぃっ!」

そしてまた彼では無い事を悟ると、虱のように跳ね上がり再び次の臭いの対象へ飛び掛かる。

「ばに゛っ!?」

そして叩き落とされる。

「ニゃノぉぉぉぉぉっ!びゃあぁぁぁぁぁぁぁあ!」

飛び上がって突進する、この繰り返し。
通路は阿鼻叫喚の図だった。

あふぅの暴走はスタッフルーム中を駆け巡るようになっていた。
その過程であふぅは叩き落とされるだけではなく、
ある者には殴られ、ある者には蹴り返され、ある者には壁へ叩きつけられ、ある者にはコップの水を被せられたりもした。
当然である。
こんな得体の知れない生き物に、好んで抱き付かれたい者などいないだろう。
何よりあふぅが飛び付く数を重ねる事に、あふぅの身体はボロ雑巾のようになっり。
顔は腫れと出血で醜い姿に変貌していた。
抵抗しないわけがない。
しかし誰もあふぅを捕獲できなかったのは、不快な鳴き声をあげ通路を縦横無尽に飛び回るからであった。

「ニ゛ャノ゛っ、ばに゛っ、びぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

ハート型のアホ毛はしなれ、歯は何本か折れてた、しかしあふぅの勢いは衰えなかった。
口から血を垂らしながらずぶ濡れの身体を跳躍させる。
目標は女性のスタッフだった、目が腫れで隠れているあふぅは、もはや臭いでしか探知できなかった。
女性スタッフは不気味なあふぅに悲鳴を上げ、持っていた鞄で叩き落とした。

「あ゛ふっ!?」

それでもあふぅはまた跳ね起きるだろう。
そこに落ちていなければ。
あふぅは3あふぅくらいの大きさの発泡スチロールの箱の中へ落ちていた。

「ナぁ…ノぉ…?」

気のせいか身体がひんやりする、あふぅはそう感じた。
しかし気のせいではない、箱の中身は大量のドライアイスであった。

冷えは焼けるような痛みへと変わった。

「びゃっ!?ニ゛ゃノぉぉぉぉぉっ!?」

あふぅ反射的に飛び上がる、上がろうとした。
しかし髪や服がドライアイスに貼りつき、離れる事が出来なかった。
通常ならすぐ離れられただろう、しかしあふぅの身体は濡れていた、
ドライアイスならば触れた瞬間凍らすのは容易だった。

「ナ゛、ナノ!?ヤ!はにっ、はにぃぃぃぃぃぃ!!」

それでもあふぅは箱から出ようと少ない手足をばたつかせる。
しかし逆にドライアイスに触れ手足も張りついてしまう。
あふぅの手足に焼けるような痛みが走った。

「びゃあぁぁぁぁぁぁぁあ!?」

たまらず手足を上に上げようとする。

びりっ
手足を上げた瞬間ドライアイスに付着した部分の皮膚が剥がれた。

「!?ナ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァァァァァァ!!!」

再び悲鳴が上がった。
手足からは出血していなかった、表面が凍らされているからだ。
このままでは自分がどうなってしまうか、知能が低いあふぅでも理解できた。

「ヤ!はにっはにぃ~!!」

あふぅは涙を浮かべて助けを求めた。
しかしさっきまでいた女性スタッフはいなかった。
あふぅを叩き落とした後すぐに逃げてしまったのだ。

「はにぃ!?はにっ!はにっ!」

それでも助けを呼ぶ為声を上げるあふぅ。
しかしあれだけ奇声を上げて暴れ回ったのだ、誰が声のする場所へ駆け付けるだろうか。
あふぅの自業自得であった。
ドライアイスから発っせられる二酸化炭素により、あふぅの意識は混濁し、呼吸も覚束なくなっていた。

「びぇぇぇぇぇぇぇ!、びゃあぁぁぁぁぁぁぁあ!」

甲高く泣き叫んだ後、あふぅの意識は事切れた。

あふぅは目覚めると事務所の段ボールに寝かされていた、悪夢から覚めた時のようにホッとした。
時間は深夜といった所か、おにぎりを求めあふぅの腹の虫が鳴る。

「…ナノっ!」

段ボールから飛び降りる。
つもりだった。

「…ナノ?」

もう一度身体を起こして飛び降りようとする、しかしあふぅの位置は段ボールの上から変わらない。

「ナノ…?ナノナノ?」

あふぅの頭上にハテナマークが飛びかう。
もう一度。
まずは足で立とうとする。立てない。
なら腕を使って起き上がる。
できない。

「…ナ…ノ?」

あふぅはようやく違和感に気付いた。

手も 足も 無いのだ。

あるのは手足があった場所に巻かれた包帯だけだった。

「ナノォォォォォォ!?」

あの後、あふぅはライブが終わるまで放置されていた、それはあふぅの残った手足を凍らせるには充分な時間だった。
ライブが終わり、あふぅをプロデューサーが見つけたときには、
すでにあふぅの手足は黒ずんでいた。
急いで掛かり付けの動物病院へ運ぶも、手足を切断する他処置の仕様が無かった。
命を取り留めただけでも幸運だったのだ。

「ナ…ナノナノ…」

ふとそばに鏡が置かれている事に気付く。

「ナぁ…ノぉっ!」

海老のように身体を跳ねて段ボールの外へ顔と胴で着地し、鏡に自身の身を映した。

「ナ…………………?」

絶句した、手足がない、ダルマのような体躯の自分が、そこにいた。

「あ…あふ、あふ…」

現実を受け入れがたいあふぅは身体をモゾモゾ動かしいたる所を鏡で見た。

手足が無く、うねるその姿はまさに毛虫であった。

「びゃあ゛ぁぁ゛ぁァァァァア゛ア゛ぁぁぁア゛ぁぁ!!!!」

下等生物に相応しい身体となったあふぅの悲鳴が事務所を包んだ。



「あふぅ、朝ご飯だぞー」
「ナノ♪」

事務所に出勤してきたプロデューサーは、いつものようにぷち達にご飯を与えていた。
あふぅが大好きなおにぎりを目の前に置いている。
それはいつも通りの景色。
しかしひとつ明らかに変わったものがあった。

「ナァノォ♪」

あふぅは段ボールから飛び跳ねおにぎりに食いく。
しかしその姿は異様であった。
初めてこの生き物を目にした人間ならそういった形なのだろうと納得するだろう。
しかし元の姿を知っているプロデューサーは、美味しそうにおにぎりを頬張るあふぅを悲しそうに見つめていた。

今のあふぅには四肢が無かったのだ。

過去に積み重なる、自業自得とも言えるあふぅの暴挙。
車に腕を潰され、子供達の悪戯で足を裂かれ、仕舞にはドライアイスによって残った四肢を全て欠損してしまったのだ。
楽観的なあふぅも、流石にこの姿を鏡で見て茫然自失となった。
しかし日が経てば慣れる物で、あふぅは元気を取り戻し、すっかりいつもの調子へと戻っていた。
移動は毛虫のように地を這いずり、段差へは海老の様に跳ねれば登ることも出来る。
おにぎりも目の前に置いてもらえば、這って近づき口で掴み、食べる事が出来た。
そしておにぎりさえ食べられれば、あふぅに悩みなど無かった。

「ナノ~♪」

だが何も変わらないとは行かない、あふぅが自分を何時もどおりだと思っても、綻びはあるのだ。
それはプロデューサーが机で事務処理をしている最中であった。

「びゃあああああ!びぃえぇぇぇぇぇぇ!」

「!、あふぅ!?またか…」

惰眠を貪っていたあふぅが突然泣き出したのだ。
プロデューサーは席を立ちあふぅの下へ駆け寄った。

「ほらあふぅ、大丈夫、大丈夫だから」

「びえぇぇぇぇぇぇっ!…ナ゛ァーノ!ナ゛ノぉぉぉっ!…」

プロデューサーはあふぅを撫でなぐさめる、その動作は手慣れていた。
これが初めてではないのだ、あふぅが四肢を失ってからはよくある事だった。
時々あふぅは、突然眠りから覚め泣き出す。
理由はプロデューサーも周りのぷち達にもわからない、もしかしたら四肢を失った時の事を夢で見ているのかもしれない。
だが変わった所はこれだけでは無かった。

それは昼ご飯の時間、あふぅとゆきぽがそれぞれ食事を取っていた時に起こった。
あふぅはいつものように地を這いおにぎりを頬張り、ゆきぽは両手でたくあん掴みをかじっていた。

「ナノ♪ナノ♪」

「ぽぇ~♪」

あふぅはおにぎりを咀嚼し、地面に涎と米粒を垂らしながら隣のゆきぽを見た。
次第にあふぅは苛々を募らせていた、何故なのかあふぅ自身にはわからない。
しかしそれは嫉妬だった、両手で上品に食べるゆきぽと比べ、
手足が無い自分の汚らしい食べ方が情けなくなり、怒りへと変わっていたのだろう。
自分がこんな苦労をしているのになんでお前は嬉しそうなんだ。

「ナノぉっ!!」

あふぅはゆきぽに噛み付いた。

「ぽぇぇぇぇ!?ぷぃ、ぷぃぃぃぃっ!」

必死で振りほどくゆきぽ、その後悲鳴に気付いたプロデューサーにあふぅは取り押さえられた。

「びえぇぇぇぇぇぇ!」

しかし本人に悪怯れた様子はまったく無く泣き叫ぶだけだった。
四肢の無いかわいそうなあふぅに、プロデューサーも怒るに怒れなかった。

怒るに怒れないプロデューサーは、あふぅを元のダンボールの位置に戻した。
幸いゆきぽに大きな怪我は無かった、これが最初ではない事と、
ゆきぽもあふぅの四肢が無い姿を哀れに思い、不満を漏らす事はなかった。

「…ナ、ナノ…」

すると泣き止んでいたあふぅが突然おぶおぶし始めた。
プロデューサーはゆきぽを慰めていてそれに気づかない。

「ナノ…ナノぉ…」

あふぅはもじもじしながらダンボールから這いでて、
事務所の出口へ向かって毛虫のように地面を這っていった。
その顔はどこか緊迫した顔をしていた。

「…あふっ」

突然あふぅの動きが止まった。
あふぅの情けない声が聞こえたプロデューサーがそちらへ眼を向ける。

「あふ…ぅ…ん…」

あふぅの表情は恍惚と、どこか羞恥に染まった色をしていた。
同時に事務所に異臭が漂う。

「あふぅ…またか?」

プロデューサーは呆れてあふぅに駆け寄った。
よく見るとあふぅの下には水溜りが出来ていた、そしてお尻の部分の服が盛り上がっている。
そう、あふぅは催したので排泄に表へ向かおうとしたのだ。
しかし悲しいかな今の姿では今までのように外へ駆け出すと言う事が出来なかった。
ドアの前で我慢の限界が来て、この生物は漏らしてしまったのだ。

「ナ…ナノぉ~…」

プロデューサーにお尻を拭かれているあふぅ、その光景はとても無様であった。

これだけでもあふぅの醜態はとんでもない事となっていた、しかしそれだけでは無い。
それはプロデューサー達が全員帰宅しきった夜の事務所での事、
あふぅはいつも通り用意されたダンボールに収まっていた。
他に事務所で生活しているぷち達は眠っている、しかしあふぅだけは違った。

「…ナノぉ~…ナノぉ~~~…」

すすり泣くような声が、事務所に広がる。
あふぅの泣き声だ。
夜になり、暗がりで不安になるのかあふぅは深夜によく泣くようになっていた。
四肢も無く、自身の身の回りの世話も容易に出来ないあふぅの精神は
この生き物の知らない所で日に日にすり減っていたのかもしれない。
徐々にその声は大きくなっていく。

「ナノぉ…!…ナノ…!…ナノッ!」

次第にぷち達も声に目を覚ましていく。
そんな事お構いなしにあふぅの泣き声のボリュームは大音量まで引き上げられた。

「びぇ…あふっ、びゃ、びぃえぇぇえぇえっぇぇぇぇぇぇぇ!!」

その声はとうとう事務所内だけに収まらず、近隣にまで響いていた。
事務所の時計は深夜3時頃を指している、ほとんどの住民は寝ている時間だろう。
当然、あふぅの金切り声にたまらず起きた住民は少なくないだろう。
事務所内のぷち達はすでに全員起きており、あふぅの悲鳴に耳をふさいでいるぷちまでいた。
あふぅを宥めようとするぷちもいたが、あふぅの自分勝手な所は今でも変わらない。
そんな事聞く耳持たずで泣き叫んだ。

「びえぇぇぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇ!!」

あふぅが泣き疲れて眠る頃には、すでに日が昇っていた。
その日事務所に対して騒音被害で苦情が入ったのは言うまでもなかった。

プロデューサーはあふぅが夜中泣く事の対策を考えていた。
しかし、今の姿のあふぅを自宅に連れて帰るなどと言い出す者はいなかった。
なによりそれでは問題の解決にはならない。

「なぁあふぅ、夜の泣くのは我慢できないか?」

「ナノッ!!ナノォォ~~~!!」

プロデューサーの説得にもあふぅは応じようともしない。
それどころかおにぎりを要求し始めたではないか。
プロデューサーは悩んだ末、一つの答えを導き出した。
答えはその夜に早速使われた。

時刻は経ち深夜、いつもあふぅが泣き出す時間、他のぷち達も身構えていた。
しかし

「ナ…」

あふぅは泣き出さなかった、どこか気の抜けた声を漏らしはするが、今までに比べれば
気にもならない大きさであった。
あふぅはダンボールの上に座っていた。
そう、座っているのだ、よく見ると手足がある、だがそれは本物の手足では無い。
事務所のアイドルが作ったあふぅ専用、熊の着ぐるみである。
プロデューサーはこれをあふぅに着せて事務所を後にしたのだった。
ごわごわとした質感があふぅは苦手のようで、これを着せられるとたちまち静かになる。

「ナ…」

その表情は困ったような顔であった、太い眉は八の字に曲げられ、口は三角をかたどっている。
しかし、その眼にはなぜか悲しみの色が浮かんでいた。
視線の先はあふぅの前に置いてあった鏡であった。
あふぅは鏡に映った自身の姿を見ていた。

「ナ…ナ…」

無くなったはずの手があった、無くなったはずの足があった。
それを見た時、あふぅの心は喜びで包まれた。
あふぅはそれら動かそうとする。

「ナ…ノ…」

でも動かせない。
今までのようにごわごわした質感から動かせないのか、それとも手足が無いから動かせないのか。
あふぅの頭で理解する事はできなかった。
しかし頭で理解できなく共身体では理解していたようで、

「ナ…あふ…ぅ・・・ナ・・・ぁ」

あふぅの頬に涙が伝った。

その日からあふぅの症状は悪化の一途をたどっていった。

「くひゃぁぁぁぁぁっ!?」

「ぽえぇぇぇえぇぇっ!!?」

あふぅはちひゃーとゆきぽに噛みついていた。

「ナニょぉぉおっぉぉっ!!!!」

その眼は血走っていた、目元は泣きはらした事で更に赤みがかって見えた。
あふぅ突然癇癪を起こし、まわりに当たり散らす事があったが。
それでもぷち達にまで被害を与える事は少なかった。
それが今ではほぼ毎日、事あるごとに噛みつくようになっていた。
事務所のぷちのほとんどは身体にあふぅに噛まれた痕が残っており、
それはぷちだけではなくプロデューサーにまで残っていた。

哀れなあふぅの姿にプロデューサーはもう何も言えなった。
しかし、このままではアイドル達にまで被害が出てしまう。
事務所が出した総意は、とても残酷だが、受け入れなければならない物であった。

保健所である。

プロデューサーはあふぅを連れ、保健所に到着した。

「ナノ?・・・ナノナノ?」

あふぅは困惑していた、突然プロデューサーに連れ出され、知らない所まで連れてこられたのだから。
しかしその考えはすぐに無くなった、プロデューサーからおにぎりを貰ったからだった。

「ナノぉ~♪」

おにぎりはあふぅにとっての一種の精神安定剤のような物となっていた。
一口かじればいやな事などすぐ忘れられた。
そうこうしている内にあふぅはプロデューサーの手から係員の元へ移っていた。

「・・・ナノ?」

係員に抱き上げられたあふぅはプロデューサーを見ながら小首を傾げた。
なんで自分をこの人に渡すの?と。
そんなあふぅを見るプロデューサーの目は悲しげだった。

「お願いします」

プロデューサーが言うと、あふぅは係員達の用意した檻に押し込まれた。

「ナっ!?」

がちゃり、と錠を掛けられ、檻からの出口を封じられる。
あふぅは戦々恐々といった様子で暴れだした。

「ナナナ!?ナノーぉ!!ナノナノナーノ!!」

「ごめん…あふぅ」

プロデューサーはそんなあふぅに後ろ髪を引かれるようにしながらも、建物を後にしようとする。

「ナノ!?はにっ!はにぃっっ!!」

置いてかれる。
愚かなあふぅの頭でもすぐに理解できた。
途端にプロデューサーへ媚びへつらう言葉を口並べた。

「はにぃ!はにぃ~~!あふっ!はにぃぃぃぃぃ~~っ!!」

檻の中をごろごろごろごろと駆け回り、プロデューサーの背中へ精一杯の「はにぃ」を投げかける。
なんで自分を置いていくの?なんで?自分は何も悪いことしてないよ?
そう訴えかけるように。
しかし健闘虚しく、プロデューサーの姿は見えなくなってしまった。

「はにっ…、」

プロデューサーを見送ったあふぅは、檻ごと奥へ運ばれようとしていた。

「はにぃ…」

あふぅの中で不安が空気を吹き込まれる風船のように膨らんでいく。
その感情は限界を超えると当然破裂した。

「びゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!びぃぇぇぇぇぇえぇぇぇぇっ!!」

あふぅは涙をまき散らしながら檻の中で暴れだした。
四肢のない身体を精一杯に動かし、四角い空間を縦横無尽に跳ね回り、
頭を錠がついた扉に何度も打ち付けた。
「びゃっ!びゃびゃびゃぁぁぁぁぁぁっ!!」

鉄で出来た檻である、よほど痛い事だろう。
しかしあふぅは頭突きするのをやめようとしない。
頭をぶつける度に衝撃はあふぅに反ってくる。
歯は折れ、頭と口から血を垂れ流していた。
だが衝撃はだんだん強くなり、係員はつい檻を落としてしまった。

「びえっ!!!!」

その衝撃であふぅを顔を強打してしまった。
だがそんな事にもめげずあふぅは懸命に扉への頭突きを繰り返す。

「びゃっ!ナノっ!あふっ!びえぇっ!!!」

生命の神秘か、あふぅの執念が成す技か。
なんと錠が外れ檻の扉が開いてしまった。

「!…ナノっ!!!」

人間に見つかったゴキブリのように素早く檻から這い出るあふぅ。
係員が急いであふぅを捕獲しようとする。
四肢の無いあふぅならば、捕まえる事などそう難しい事ではない。
しかし命の危機に直面したあふぅの生への執念はすさまじかった。
保健所などという概念をあふぅが知るはずもない。
しかしあふぅの眠っていた野生が、危険をひしひしと感じていたのだろう。

「ニャノォォォォォォォッッッ!!!」

まるで水を得た魚のように、あふぅは室内を跳ねまわった。
四肢が欠損した生物とは思えない俊敏さと獰猛さだった。
係員が怯んだ隙を見逃さず、あふぅはプロデューサーが出ていった方へ向かった。

「びゃっ!?」

しかし見えない壁に遮られてしまい、あふぅは顔面を透明ガラスにぶつけてしまった。
自動ドアが目の前にあった。
あふぅはおぶおぶしながら自動ドアを開けようとする、しかしまったく開く気配がない。
後ろからは係員が迫っていた。
あふぅは必死だった、必死ゆえ、火事場のバカ力とでも言うのか、あふぅは自動ドアへ何度も頭突きを繰り返す。

「びゃっ!びゃびゃびゃびゃあぁぁあぁぁぁ!!」

あふぅの汚れた黄色い髪に赤みが加わり、汚らしい色へと変色していく。
しかしあふぅの執念のなす業か、自動ドアのガラスをあふぅは突き破った。

「ニ゛ャノォォォっ!」

やっと表に出れた!歓喜に満ち溢れるあふぅ。
しかし喜んでいる暇はないとばかりに、あふぅはその建物を後にした。

あふぅは路地裏を這いずっていた、頭からは血がドクドクと流れている。

「ナノ…ナノ…」

ずり…ずり…とあふぅの這いずりには先程までの覇気が見て取れない。
余程の力を消費したのもあるが、一先ず危機から逃れた安心からの鈍行だろう。
それでもあふぅの動きには淀みがなかった。
この区域はあふぅも初めて来る場所のはずなのに。

「はに…あふ…ぅ」

帰巣本能とでも言うのか、それともかつてのようにプロデューサーの匂いを辿っているのか
それはわからないがあふぅは事務所への道を順調に辿っていた。
しかし、四肢の無いあふぅに、ここから事務所まで這っていくには相当の時間がかかる事だろう。
そんな事まではあふぅの頭では計算できない事だろう。
たとえ理解できても、帰る以外にあふぅに選択肢はないのかもしれない。
四肢の無いかわいそうなあふぅを迎え入れてくれる所は、あの事務所だけなのだ。
そしてその事務所からまで見放され、保健所送りにされた事をあふぅは知らなかった。

「あふ…あふぅぅぅぅ!!!」

かわいそうなあふぅ。



ある日、プロデューサーが出勤すると、事務所へ上がる階段に赤黒い液体のような物が塗られていた。

「…だれかの悪戯か?」

そう思いながら彼は階段を上がった。
すると事務所の入り口の前に、生ゴミのような物が置いてあった。
なんだろうか?そう思いながら眼を凝らす。

「あ゛……ふ…………ぅ゛」

良く見るとかすかだが息をしていた、どうやら生き物のようだ。
ぷちたちの仲間だろうか?と思ったプロデューサーだったが、
こんな汚らしいぷちがいる訳ないかと思った。
あまりにも汚らしすぎるのだ、まるで毛虫のように。

「…!……は…に゛…ぃ゛…」

その生き物はプロデューサーに気づくと、おぶおぶと身体を這いながら彼の足もとへと近づいて行く。
プロデューサーはその挙動には不気味な悪寒を感じた。
眼の前にボールが飛んできたら目を瞑るように、脊髄反射で蹴ってしまった。

「びゃ゛っ……!!!」

壁に叩きつけられてしまうその生き物は、衝撃から回りに血をまき散らした。
ますますプロデューサーは困惑した、なんだこの生き物は?と。

「…は…に゛ぃ゛…?…は……に゛…ぃ゛」

それでもその毛虫のような生物はプロデューサーの元へ這い寄っていく。
もう頼れるのはあなたしかいない、とでも言うかのように。

「…うわっ!」

茫然としていたプロデューサーの足元に着くと、その毛虫は足に身体を擦り付けてきた。

「はに゛…ぃ゛♪、はに゛ぃ゛♪…」

プロデューサーの身体に寒気が奔る。
あまりの気味の悪さに、彼はその生き物を足を踏みつけた。

「びゃ゛っ…!!」

まだ生きていると感じると、更に何度も何度も踏みつけた。

「びぇ゛っ!あ゛ふ゛っ!ナ゛のっ!!びゃ゛ぁ゛っ!……………」

ゴキブリを見つけると生理的嫌悪から殺してしまう、それと同じ現象だったのだろう。

「は…に…」

最期の一撃とばかりに踏みつけると、その生き物は情けない声を漏らし、静まり返った。
するとプロデューサーは、その生き物を新聞紙でくるみ、殺した害虫の死骸を
始末するように、裏のゴミ置き場へと投げ捨てた。

その後、あの生き物の声はどこかあふぅのようだったなと思うプロデューサーだったが、
もう死んでいるあふぅがここにいる訳ないと思い、考えを仕事に向けた。
捨てられたゴミは翌日燃えるゴミで処分される事だろう。

かわいそうなあふぅ。



  • 最終更新:2014-02-21 06:18:30

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